2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「20世紀少年」、その「終末」論など

この年になって恥ずかしいが、夏休みの一日、マンキツにこもって、「20世紀少年」22巻を読了した。なんだかまだ頭がボーッとしている。 この時点で思いついた断片的感想を並べてみる。◆終盤の失速 多くの読者が指摘するように、確かに「終わり」は成功と…

開高健と人格剥離

猛暑のある日、突然思い立って茅ケ崎にある開高健記念館を訪ねた。 開高健を最初に読んだのは、高校時代受講していたZ会添削の国語の例文だった。 公園で、水と一緒に生きたカエルをのみこんでは吐き出して、通行人からカネをもらう男を描写した文章だった…

病としての「占有」

人類には700万年の歴史がありますが、その大半の時間、飢餓と不足と欠乏にさいなまれていました。そのため足るを知るリミッターはほとんど必要なかった。だから(人間は)現在、どんなものでも必要以上に占有しがちになる。土地を占有し、お金を占有し、…

コガネムシと水アメ

童謡「黄金むし」。野口雨情作詞、中山晋平作曲。しみじみ歌詞を眺めるとなんともふしぎ。 黄金むしは金持ちだ 金蔵建てた蔵建てた 飴屋で水飴買ってきた 小池光(10年8月15日付け日経朝刊) コガネムシがアメ屋で水アメ買った?このくだりは知らなかった。…

「迷う鷗外」

森鴎外の続き。 鹿島茂がドイツ留学時代の森鷗外による「過適合」について指摘している。 優れた「学習機械」である鴎外は、日本人留学生として「学ぶべきこと」はもちろんのこと、日本人留学生としては「学ぶ必要のないこと」まで学んでしまい、この過適合…

鴎外の「妄想」

平日の午前中、ぽっかりと半日休みがとれた。題名に魅かれ、未読だった「妄想」(森鴎外)を読みだした。 生まれてから今日まで、自分は何をしているのか。始終何者かにムチ打たれ駆られているように学問ということに齷齪(あくせく)している。しかし、自分…

偽装としての武士道

毎日新聞朝刊(8月8日付け)に見事な書評があった。田中優子による「日本政治思想史―十七〜十九世紀」(渡辺浩、東京大学出版会)の評だ。 儒学とは何であったか。「儒学は、人類がこれまでに築いた、おそらく最強の体系的イデオロギーである」という見解にう…

フロイトの「起源批判」

エドワード・W・サイードにはある時期までみずからを、心ならずも反英闘争に関わることになってしまった若き日のスウィフトに仮託していたところがあった。最晩年にはそれが、すこしずつフロイトへ移っていった。この高名な精神分析家は、絶望的な癌を患い…

異国はほんまに侵略者じゃったんか

「薩摩じゃ、長州じゃと仲間内でケンカしてる場合じゃないぜよ。日本人として一つにならんと、異国に侵略されてしまうぞ」 最近の「龍馬伝」では、福山龍馬が毎回、同じセリフをどなっている。国民の大多数のみなさまには悪いけれど、天邪鬼の当方としては、…

「ノンビリ」には勇気と知恵

森さんは大学定年後、ますます忙しくなり、マスコミ、ジャーナリズムに引っ張りだこだった。 どんなに忙しくても、森さんはノンビリしていた。ノンビリするには勇気がいる。我慢がいる。とりわけ知恵がいる。というのは、世の中の構造が、せかして、動かして…