開高健と人格剥離

 猛暑のある日、突然思い立って茅ケ崎にある開高健記念館を訪ねた。

 開高健を最初に読んだのは、高校時代受講していたZ会添削の国語の例文だった。
公園で、水と一緒に生きたカエルをのみこんでは吐き出して、通行人からカネをもらう男を描写した文章だった。

 この男は戦争中も右往左往の群衆に向って蛙を呑んだり、吐いたりしてみせていたのではあるまいか。その徹底的な侮蔑を眺めていると小気味いい。何となくホッとせずにはいられないのである。まだこんな方法がのこっていたのかと思う。


 堂々たる無為。これが胸に響いて、引用されていた小説を買った。「夏の闇」だった。

 その後、何回か再読した。紛争直後のサラエボの市場で、砲弾で穴だらけになった壁を見ながら読んだこともあった。
最近、久々に飛ばし読みしてみたら、「ちょっと表現が大げさだよな」と軽く失望したが、それでも、「日本語が読める幸せ」を、開高の文章で生まれて初めて知った気がする。

 それはきざしもなく、予感もできず、ふいにやってきて瞬間的に私の足をすくってしまう。人と話をしたり、酒を飲んだりしているときに、とつぜん奈落に落ち込んでいくような衝動が起るのである。雪崩のようだったり、足場の砂が崩れるようだったり、とつぜん足がガクンとなるようだったり、さまざまだが、一度それが起ると、私はしびれて阿呆みたいになってしまう。

 瞬間は私がひとりでいるときにも、人といっしょにいるときにもやってくる。気まぐれで、苛酷で、容赦なく、選り好みということがない。一瞬襲いかかると、圧倒的にのしかかってきて、すべてを粉砕して去っていく。待てと声をかけるすきもない。気がついた時はいつも遅すぎて私は茫然として凍え、音も匂いもない荒寥の河原にたって、あたりをまじまじと眺めている。
 
 あの瞬間は旅をしてもしなくても、十八歳のときにも四十歳のときにも、まったく同じ強さを持っているようなのだ。子供の時から私は名のないものに不意をうたれて凍ったり砕けたりしつづけてきた。いつ剥離するかしれない自身におびえる私には昂揚や情熱の抱きようがなかった。

 瞬間に剥奪されたときにそこへもぐりこんでうつらうつらしながら、ひたすら破片がもとへもどって、“私”という心臓ある人形の形になるまで潮がさすのを待つようにしていられる、ひっそりとした小部屋が必要だった。


 「夏の闇」より


 持病としての「人格剥離」を抱えた人間が、「釣好きでグルメの行動派作家」として世を渡れば、持病はますます悪化するしかない。

 記念館は、開高の自宅を利用したものだった。間取りはかなり変わっていた。特に生前と同じように保存されている書斎は意外なほどせまく、奥に小さな台所がついていた。また書斎は庭に出られる構造になっており、庭から玄関への細い道もあった。開高は家族と住んではいたが、家族に知られずに書斎へ出入りすることができるし、自炊しながら家庭内での籠城も可能だ。
 おそらくこの書斎が、人生最後の「ひっそりした小部屋」だったのだろう。

 グッズ売り場で「白いページ」(光文社文庫)を購入して、記念館を出ると、サーフボードを抱え自転車で海に向う人たちがいた。海はすぐそばだ。

※写真は、開高健の書斎と記念館の外観