視霊者の夢、おもろいカント

前日の続き。

三浦雅士の「孤独の発明」(「群像12月号」)で紹介されていたカントの「視霊者の夢」の紹介が面白かった。

カッシーラーは「カントの生涯と学説」において、カントの「視霊者の夢」と「感性界と英知界との形式と原理」のあいだの驚くべき飛躍に注意を促している。前者は1766年、後者は1770年。簡単に言えば、あの世の話を面白おかしくからかっていた才人が、突如、居ずまいを正してあの世への敬意を語り始めたような印象があるのだ。

「感性界とー」は、その後11年を経て完成される「純粋理性批判」の青写真のようなものだ。カントにこの飛躍を促したのがライプニッツの「人間知性新論」だったと、カッシーラーは述べている。


 カントの飛躍がどんなものだったのか。「視霊者の夢」をのぞいてみる。「前置き」の冒頭にはこうある。

 黄泉の国は夢想者の天国である。そこに見いだされる境界のない土地に、彼らは気の向くままに家を建てて住むことができる。憂鬱症の恍惚、おとぎ話、僧院の奇跡など、彼らはつねに建築材料に不自由することはない。

 霊魂の国のこのような特権は、政治的な思惑という動機によって正しいと認められている限り、もはや無力な学者の批判などの到底届かない高みにある。そしてその特権の使用も濫用も、すでにあまりに尊い習慣になっているので、今さらかくも忌まわしい反対尋問に自らをさらす必要はないのである。
 そうした物語は、役にも立たず罰せられもせずに、なぜかくも広範に広がって、学問的な制度の中まで浸透してゆくのであろうか。(植村恒一郎訳)


 これがあのカントの文章とは信じがたい。三浦もこう評している。

 カントの口調が霊能者を揶揄するものであることは言うまでもない。「純粋理性批判」の謹厳実直な文体からは想像もできないほど機知に富む社交的な文章である。


 もう一歩踏み込んで言えば、からかいの対象になっているのは、霊能者だけでなく宗教、なかんずくキリスト教ではないのか。
 カントは、神秘哲学者スウェーデンボリの著作を読んだのが、この本を書くきっかけになったという。そして…

 いささかの自負を許してもらうならば、この本は、その主題の性格からして読者を完全に満足させるに相違ない。というのは、読者はおそらく、本書の最も重要な部分は理解しないであろうし、他のいくつかの部分は信じないであろうし、残りの部分は笑いとばすであろうからである。


 カントが、こんなに諧謔にとんだ面白いヤツだったとは。

 三浦は続いて、坂部恵の分析を紹介する。

 (「視霊者の夢」の)正式な表題である「形而上学の夢によって解明された視霊者の夢」は、逆に「視霊者の夢によって解明された形而上学の夢」と読まれるべきと、坂部恵が論文「『視霊者の夢』の周辺」で述べている。形而上学の限界、すなわち理性の限界こそが論じられているのだというのである。
 啓蒙の世紀はカントにあの世の問題を正面から論ずることを許さず、自身の関心そのものを嘲笑うというかたちで逆説的に論じるほかなかったのだ、と坂部は述べている。

 (以下は、坂部の「カントとルソー」からの引用)
だが、「矛盾を矛盾のままで自己嘲笑によって距離をとりながら耐える」というこの柔軟な姿勢は、カントが『視霊者の夢』の思考のスタイルを捨てて、学校の文体といわば妥協し、伝統的形而上学の枠どりに何らかの程度復帰して、自己の防衛と自己の思考の社会化に乗り出すと同時に、必然的に捨てられることになる。自己嘲笑によってつけられた『かっこ』は消え失せ、同時に、自己がそのうちへと引き裂かれていた矛盾の両極は、叡智界と現象界という、序列をつけられた二つの世界へと両極分解して客観化され、矛盾のはらむ緊張という毒はうすめられ、おそらく批判哲学の思考の生成の見えざる原動力へと転化するプロセスと引き換えに、アンチノミーという思考の技術の中に石化し、解消してしまう。


 ここまでくると、「視霊者の夢」からの変化は「飛躍」ではないのでは、と思えてくる。三浦も「『視霊者の夢』の、二律背反にいわば身もだえするような思考の流儀が失われたことを、坂部はむしろ哀惜している」と書く。

 自己嘲笑を捨てることで「純粋理性批判」に到達するプロセスには考えさせられた。

 カントがたどり着いたのは、「空間と時間」という知の形式だった。カントによる大陸合理論と英国経験論との総合は、哲学史の教科書の定番だが、三浦の説明がしゃれているので、この長くなった項目の終わりに紹介しておく。

 空間と時間は経験的に得られた観念ではない。生得的に普遍的であると同時にまさに具体的である。それは、経験的現実的なものから独立している数学と、経験的現実的であるほかない物理学の、いずれをも成り立たせる形式なのだ。