「SIGHT」諸論紹介

 渋谷陽一編集の季刊誌「SIGHT」の2011年夏号を購入。タイトルは「原発日本」。例のごとく、暴論ながら「一理あり」と思わせる発言もあり、以下、紹介します。



 大阪の橋下知事について、内田樹がいつになく敵対感情をあらわに批判している。

 最初の第一声でわけのわかんないこと言いだして、周りの人がびっくりする。で、だんだん、なんかわけのわかったことを言い出す。聞いていると、だんだんずいぶん現実的な妥協案を出しているような感じになる。だから、思わずしがみついてしまう。


 あの人(橋下)は、頭ごなしに相手を一気に威圧して、そのあとふっと手を緩めて、ごく現実的な落とし所にもっていく。この出し入れがうまい。特に、(威圧の次の)二段階目の「ものわかりのいい人」の顔をしてる時に、こっちが武装解除した瞬間ガブッと食いついてくる。これはある種の天才だと思う。「この人は話がわかる」と思った相手に拒絶されると、人間の理性って、崩壊しちゃうんですよ。自分の中でロジックを組み立てていく気力そのものがなくなってしまって、そうすると一気につぶされてしまう。
橋下さんって、相手を上げたり落としたりするっていうことが天才的にうまいだけじゃなく、それが好きなんじゃないか、って気がするんですよね。


 府知事が上意下達のピラミッドの頂点にいるんだから「上の人間の言うことを黙ってきけ」って言いたいことはよくわかる。でも、それだけなんですよね。「オレの言うことを聞け」というのが「オレの言うこと」のコンテンツの相当部分を占めているんです。教師をイエスマンにすることは、組織管理上は楽になるかもしれないけれど、子供たちにはほとんどトラウマ的な心の傷を与えることになる。教師って、こんなに弱くて脆くて、上から何か言われたら自分自身の思想も信念も捨ててしまうほど情けない人間なんだっていうことを子供に刷り込んで、いったい何をしようというのか。


 ポピュリストが出てくるときの社会の雰囲気って、わかる気がする。停滞感、無能感なんですね。自分が個人的に努力していると、それによって世の中が少しずつ良くなっていくとか、適切な報酬がくるとかというような手応えがない状況。そういう無能感を感じている人間は必ず全能感を求めようとなるんですけど、全能感を求める人間って、必ず「ものを壊す」方向に行くんですよね。無能感や無力感を感じているので、何かを創造しようというふうになる人間て、いないんです。

 だって、ものを創りだすには、時間も手間暇もかかるけれど、壊すのは一瞬ですからね。他の人が営々として築いてきたものを一振りで瓦解させる。それも人が丁寧に作ったもの、大切に手入れしてきたもの、それが壊れると絶望する人の数が多ければ多いほど、破壊による全能感は高まるんです。


「まず壊さなきゃ、創れないだろう」というロジックはなかなか手ごわいし、とにかく無力感や無能感で苦しんでいる人にとって「壊せ」というアジテーションはきわめて魅惑的なんですよね。

「破壊による全能感」はテロリズムにも当てはまる。


 次は、田中秀征

 社会党が強かった時に、宮沢喜一さんが「社会党というのは憎たらしくて愚かなところがいっぱいあるけれども、もし存在しなかったら、わざわざ作らなければいけないくらい大事な政党だ」といったことがある。社会党が果たしたチェック機能は大きいですよ。たとえば日本が軍事大国化しなかったのは、社会党がいて「非武装だ」と極端なことを言っていたからですよね。もう少し軍備を少なくしておけ、ということではなく、「非武装」だと。


 それは原発政策についても当てはまる問題です。

 小選挙区制によって新しい人材がたくさん出てきたとは言われますが、みんな、劣化した指導者に引っぱり上げられた人たちですからね。彼らは駅前で街頭演説しただけでしょう。

 選挙運動で、タスキをかけて、自分のポスターを貼って駅前でしゃべるなんていうこと自体、普通の人間にできることじゃないもの(笑)そんなことをしたいっていう人間の中には、いい人材なんかいませんよ。いい人材はみんな忙しいですから、出馬を要請されて即座に返事をする、そういう人間ほどダメなんです。


 人材なんてたくさんいますよ。最近よく聞くのが、被災地の自治体の話ですよね。小さな自治体の村長や町長の指揮の取り方に感動します。そして、「あそこの選挙区の国会議員はだれだっけ」と思い出してみると、ロクな人はいない(笑)

 「無能なのに出たがり」ばかり、ということですかね。国会議員の平均レベルが、せめて国会議事堂の下を通過している地下鉄で通勤している会社員の平均レベルまで引き上げられたら…との嘆きも聞こえてくる。


 最後は山口二郎

 自民党は野党に耐えられない、民主党は与党に耐えられない、そういった困った構図が、日本の政党政治にはありますね。


 石原の場合は、やっぱり伝統的保守の層に乗っかった知事ですよね。言っていることは、ものすごく古くさいナショナリズムだし、古臭い男性優位主義だし、古臭い排外主義だし。自民党に対する幻想を、石原氏が体現しているっていうのかな…「昔の自民党は骨があったんだぞ」っていうのが好きな爺さんたちが、まわりに寄っていくみたいなね。