波平がシャブ中!

◆日本政府と麻薬

 内田樹が、「薬物汚染の原点は国策にあり」(中央公論10月号所収)の刺激的タイトルで、昨今の薬物報道では見られない、あるいは、マスコミが指摘できない角度から問題提起していた。

 内田は、薬物汚染は戦後、何度かの大きな流行期があったが、このなかには日本政府が関与していたものがあると指摘する。
 

 最初の大流行期は戦後すぐのことである。軍が所有していた大量の覚醒剤が市場に出回り、大量の中毒者を出した。
メタンフェタミン、商品名ヒロポン第二次世界大戦中に大日本製薬から発売された。服用すると一時的に気分が高揚し、視力が向上することから、軍需工場で徹夜作業する作業員たちや夜間飛行の搭乗員たちに配られた。

 それが与える一時的な全能感は戦闘に際して有用であるため、「吶喊錠」、「突撃錠」などという名を与えられて前線の兵士たちに処方された。特攻隊には特に純度の高いメタンフェタンが与えられた。

 覚醒剤の開発と製造が戦時の国策によって推進されていた事実を、我が国の治安当局は口にしたがらないが、今日の薬物汚染の原点が戦時の国策に発していることは記憶しておいてよい。 

 シャブの国家配給!マンガみたいだが、それほど昔の話ではない。

 戦時中、中国の旧日本軍がアヘンの栽培と密売に深く関与していたことは、「阿片王―満州の夜と霧」(佐野真一新潮文庫)に詳しい。この本は、佐野氏の著作としては完成度が高いとは言いかねるが、日本軍関与の部分は興味深く読めた。

 戦闘と麻薬との関連で、思い出したことがある。20年前、パキスタンアフガニスタンとの国境地帯の安宿にとまったら、宿全体になんだか変なにおいがした。宿にいた自称アフガンゲリラは、「ここに泊まる連中は、ハッシッシをやってるんだ」と説明してくれた。
地上での銃撃戦では、緊張とストレスは限界点にまで達する。しかし、イスラム教徒なのでストレス解消のために酒を飲むわけにはいかない。アフガンは世界的に有名なケシの栽培地。ある意味、当然の成り行きかもしれない。

 さて、敗戦直後の覚醒剤普及は、サザエさんにも顔を出していると、内田は指摘する。

 

敗戦後出回ったヒロポンは現在の栄養ドリンクやサプリメントのような手軽さで服用された。

サザエさん」の中に、磯野家に遊びに来た子供が異常にハイになってしまい、迎えに来た母親が当惑するというものがある。カツオくんが「あっ、お父さんのヒロポン飲んじゃってる」とびっくりするのがオチ。

 もしかすると、この四コマは現在出版されている版では削除されているかもしれない。波平さんがヒロポン服用者であったというのは、メディア的な良風美俗にはなじみそうにないからである。だが、それがある歴史的条件下においては、市民生活の日常的風景であったという事実からは目を背けるべきではないだろう。


 波平さんが、シャブ中! 

 内田は、次の日本での大流行期は60年代から70年代にかけての大麻、LSD、コカイン、ヘロインなどであり、これはベトナム帰りの米兵が日本の米軍基地に持ち込んだ薬物が流出したためとする。ベトナム戦争支持の当時の日本政府は、日本で麻薬を服用し、所持し、闇ルートに売っていた米兵たちを逮捕することに消極的だったことが、この事態を招いたとも指摘する。

 ここから、内田は、「国家は倫理的であれ」と結論する。麻薬取締に関しては異存はないが、歴史上、国家が倫理性を追求して反倫理的な結果をもたらした事例も数多くあり、一般論としてはいかがなものか。