久々のベルイマン

◆「鏡の中の女」

 久々にベルイマンの映画を観た。

 見所は、主人公の精神科医を演じたリヴ・ウルマンの演技力だろう。狂気に落ちていく演技は、芝居とは思えぬ迫力だった。大竹しのぶを連想した。

 内容的には、「老いと死」、「エロスとタナトス」、「罪と贖罪」といったベルイマンおなじみのテーマが盛り込まれている。最後の方で、老妻が夫をいたわる場面で主人公の「愛は死をも包み込んでしまう」とのセリフが流れるが、全編、救いのない場面の連続で、このセリフが逆に浮いていた。

 自分から逃げ出すには、死ぬか、狂うかしかない。「独房としての自我」に対する絶望は、よく伝わってきた。

 ただ、「暗さ」の深度は物足りなかった。

 たとえば、主人公の精神科医は、両親の事故死、祖母の虐待によるトラウマ、夫との不仲など、悩みのタネをいろいろ抱えている。この多様な悩みが、苦悩を人生相談的レベルに落としてしまうマイナス効果を生んでいた。

 また、「精神科医自身が精神病になる」との設定をうまく生かしきれていなかった。精神科医のなかには、患者への治療を通じて自分自身が精神のバランスを失い精神病になる例もあるとの説を読んだことがある。精神病の知識がありながら、あるいは、知識があるからこそ、精神の病になってしまう、人間精神の複雑さ、脆弱さまで、この作品の射程は残念ながら届いていない。

 ベルイマンが嫌いなわけではない。学生時代、「野イチゴ」を観て、非常に感心した。同じ「老人と死」をテーマにした「家族の肖像」(ヴィスコンティ)の俗物性に比べると、「野イチゴ」は圧勝していた。

「老い」も、そろそろ他人事ではなくなりつつある。「神の沈黙」三部作でも、観てみるか。若いころとは、また違った見方ができるかもしれない。