赤坂真理の戦後論

「愛と暴力の戦後とその後」(赤坂真理講談社現代新書)読了。


 日本の戦後論は、70年も経つとあらかた論点が出尽くした感があり、なかなか新しい視角からの問題提示ができにくい。「東京プリズン」で新しい角度からの戦後論を試みた赤坂氏の近著だ。


 「東京プリズン」と同じく面白く読んだが、「東京プリズン」と同じ違和感も抱いた。「日米関係が日本にとっての世界のすべて」との感覚や天皇、日本、米国などの政治的意味づけが過剰で、政治的ロマン主義に傾斜している点に、違和感を抱いた。また、歴史的事象に対しての「思い込み」に近い断定が散見されるのもキズになっている。


 社会学的分析はちょっと無理があったが、十代での米国留学挫折や公園維持をめぐる区の住民委員会体験など個人的な材料をもとにしての論は説得力があった。


 以下、いくつか紹介してみる。


 まずは、日本の戦後復興は中国共産党のおかげというお話。

 中国共産党こそが、日本の戦後復興の「恩人」であった可能性が高い。なぜなら、中国が今の共産党ではなく自由主義中国国民党の政権であったなら、アメリカは戦後、中国と直接交渉し、小島のような日本のことなど、さしたる興味も持たなかったはずである。


 もともと、中国の利権をめぐっての交渉が決裂したのが日米開戦である。だとしたら、メインの関心事は中国であって、(中国が共産化していなければ)アメリカは日本の一国占領にこだわらなかったであろうし(たぶん)、日本はアメリカとソ連の分割統治になったのが自然な成り行きではないだろうか。ソ連があり、中国共産党があったために、日本はアジアの要石となった。

 次は、日本国憲法は、米国製ゆえに明確な力を持つ憲法になったという逆説。

 他者が他国のためにまるまる草稿を起こした、だからこそのラディカルさが、平和を希求する態度にしろ、明快なまでのラディカルさが、日本国憲法と第九条の魅力ある文面になっていることは疑いない。

 これを日本人が日本語でつくっていたら、製作者が身近な力関係に配慮しすぎてどんどん曖昧な表現にしていくとか、解釈の幅がすごく広い感じを使うとか、そんなことになっていたに違いない。


 15歳で米国に留学した時の漢字をめぐるエピソードは興味深い。外国語を使うことで自国について再発見する好例といえる。


 上級生の少年から、こう聞かれた。


 「どう書くの、君の名前を、チャイニーズ・キャラクターで?」


 何を言われたのかわからなかった。私の名前と「中国人の性格」の間に、何の関係があるのかと思った。私は中国人ではない、日本人だ。私は中国人の性格など帯びていない!

 
 次の瞬間、静かに雷に撃たれたみたいだった。

<チャイニーズ・キャラクターって、「漢字」のことか!>

 なんということか、漢字が中国の文字だということを、私は認識していなかった。
 しかし、言われてみれば「漢」と書いてあるのだ。漢民族の「漢」と!


 日本で一番、中国的な都市は、長安を忠実に模倣した京都だとの説を思い出した。ただし、ここからは、少し飛躍がある。

 日本で男のことを「漢」とも言う。そうか、そのときどきのドミナントな文明を「男」と見立て、自らを「女」の地位にしてやってきた文明なのだ、日本は!

 昔は中国で、今はアメリカだ。それを思ったとき、なぜだか強烈な「恥」を感じた。


 一国を一人の人間に擬人化して、国際関係を人間関係に置き換えるのは、国際比較論の常套手段である。もちろん、説明上の有効性は否定しないが、当然、大きな無理を内包している。さらに、赤坂氏の日米比較論は、「日本」を分割不可能な非歴史的実体とみなす傾向があり、これが国家擬人化と連結すると、ナイーブな床屋政談になってしまう。


この項、続く。