乃木司令部の無能ぶり批判

今週末から大連、旅順へ旅行に行くので、予習のために関連図書を読んでいる。司馬遼太郎が旅順攻撃で指揮官としての乃木に批判的だったことは有名だが、あたらめて「坂の上の雲」を読んでみると、予想以上に痛烈だった。

 「乃木では無理だった」という評価が、すでに出ていた。参謀長の伊地知幸介の無能についても、乃木以上にその評価が決定的になりつつあった。しかし、戦いの継続中に司令官と参謀長をかえることは、士気という点で不利であった。…驚嘆すべきことは、乃木軍の最高幹部の無能よりも、命令のまま黙々と埋め草になって死んでゆくこの明治という時代の無名日本人たちの温順さであった。

 徳川三百年の封建制によってつちかわれたお上への怖れと随順の美徳が、明治三十年代になっても兵士たちの間でなお失われていない。(ロシア軍の)巨大な殺人機械の前で団体ごと、束になって殺された。

しかも乃木軍の司令部はつねに後方にありすぎ、若い参謀が前線に行くこともまれで、この惨状を感覚として知るところがなかった。

 ただ乃木の「無能」については、司馬は乃木の「天然の人徳」をかなりトリッキーな表現で称揚して、一応、カバーをしている。

 有能とか、あるいは無能とかいうことで人間の全人的な評価を決めるというのは、神をおそれぬしわざであろう。ことに人間が風景として存在するとき、無能でひとつの境地に達した人物のほうが、山や岩石やキャベツや陽射しを溜める水たまりのように、いかにも造物主がこの地上のものをつくった意思にひたひたと適ったようなうつくしさをみせることが多い。

それでも司令官がキャベツでは困る。参謀長の伊地知批判は、これ以上ないほどボルテージがあがっている。

 伊地知は客観性のある視野を持てない性格であるようであった。さらにはつねに、自分の失敗を他のせいにするような、一種女性的(!:びっくりマークは風船子による)な性格の持ち主であるようだった。

 一人の人間(伊地知)の頭脳と性格が、これほど長期にわたって災害をもたらし続けるという例は、史上に類がない。

 そこまでいうか、と思うほどの罵倒だ。さらに乃木は、陸軍の最大実力者、山縣有朋から「伊地知を叱れ」と言われたが、これを無視して伊地知の無能な指揮を黙認した。

 乃木と伊地知がやった第三次総攻撃ほど、戦史上、愚劣な作戦計画はない。あいかわらず要塞に対する玄関攻撃の方針を捨てず、その作戦遂行の成否のすべてを、日本人の勇敢さのみに頼った。

「乃木司令部はほとんど発狂の体」という意味のことを、兵站部にいた一将校が書いている。乃木軍司令部は、全体としてヒステリー稚態のなかにあったのかもしれない。

 「司令部の無策が、無意味に兵を殺している。貴公が殺しているのは日本人だぞ」
と、口にすべからざる極端な表現で、こののち児玉源太郎が伊地知をどなりつけた。児玉は乃木をどなりたかった。が、乃木の統率者としての権威を傷つけることをおそれて伊地知を叱った。

 書き写していて気が滅入ってくる。組織的に無能な人間が組織の上に立つ例は無数にあるが、生死のかかる戦場ではかんべんしてもらいたい。19世紀後半に生まれなくてよかった。

 大連、旅順については、旅行から帰国して報告します。