「憲法記念日」第二弾

憲法記念日」の第二弾。

 久々に分厚い『<民主>と<愛国>』(小熊英二新曜社)の「第4章 憲法愛国主義」をめくってみた。

 70年前の5月3日、この日、新憲法施行を祝う式典は皇居前広場で行われた。

 式典では吹奏楽団がなんどアメリカ国歌を演奏し、吉田首相らの「天皇陛下万歳」によって天皇が迎えられたという。「親米天皇制」という戦後を象徴する場面だ。ちなみに、この式典の参加者は3万人。この2日前には同じ皇居前広場で行われたメーデーの集会には40万が参加していた。

 また、この日の毎日新聞には、「今ぞ翻せ日章旗」の記事が掲載された。実は当時、占領軍の指令で「日の丸」の掲揚は禁じられていたが、この日は特別に掲揚が許可されたという。占領された敗戦国・日本にとって、第九条をはじめとする新憲法は、「新時代のナショナリズムの基盤」(小熊)として「日の丸」と共存していた。

 石原莞爾は敗戦直後に、こう語っている。
「戦に敗けた以上はキッパリと潔く軍をして有終の美をなさしめて軍備を撤廃したうえ、今度は世界の輿論に吾こそ平和の先進国である位の誇りを以て対したい」(石原莞爾、1945年8月28日付「読売報知」)

 また、「原子力時代に一握りの軍備が何程の意味もなさぬ。第九条は、決して単なる“敗戦の結果”ではなく、積極的な世界政治理想への先駆なのである」(読売新聞)。

 第九条は、「世界の悪者」として敗北した日本が、世界に誇れる貴重な資産となった。

 その一方で醒めた見方もあった。政治学者の佐藤功は1951年にこう指摘している。
「敗戦直後の日本は、占領軍の命令に抗することはできず、武装解除するしかなかった。第9条はこの現状をそのまま是認し、制度化しただけではないか」

 つまり、「1946年において、既成事実に順応する『現実主義者』と、理想を信じる『本当の平和主義者』が、おなじく第九条を歓迎する状況が成立していた」(小熊)ことになる。

 「今や昔」、というべきか、「今も昔も」というべきか。