関口存男とは

「ことばの哲学―関口存男のこと」(池内紀青土社)読了。

 独学の語学の天才と呼ばれたドイツ語教師の伝記。著者は池内紀。一般に知られていない独学者の天才ぶりを、講談のように読ませてくれるのかと期待したが、全体的には淡々とした評伝でいささか気が抜けた。

 同時代人でやはり言語そのものにこだわったヴィトゲンシュタインとだぶらせた記述もあったが、これにも無理があった。
ただ、関口のドイツ語文法への愛着が生んだ、「一徹」の気概は伝わってきた。かといって堅物ではなく、なかなかユーモアもある人物だった。


以下は、ドイツ語をマスターするくだり(要約)。

 存男(つぎお)少年は、13歳で陸軍の大阪幼年学校に入り、初めてドイツ語に出会う。

 少年は、分厚いという理由で、ドストエフスキーの「罪と罰」のドイツ語訳を買う。さっぱりわからないまま片っ端から辞書を引いて、辞書にある意味を単語のひびきに結びつけながら穴のあくほど見つめていた。一行か二行を、二十ぺんも三十ぺんも読み直す。


「ちっともわからないままで五頁や六頁は読む人もあるかも知れませんが、私のように百頁も二百頁も(しかも丹念に)読んだという人はあまりいないでしょう」


 独訳本は千ページ近くあった。二年かかって数百ページ読んだころ、へんなことに気がついた。わかり出したのである。ドイツ語の文章の関係は相変わらずモウロウとしていたが、とにかくストーリーめいたものがわかり出した。


 本の三分の二まで来た時、ためしに一番最初のページに戻ってみた。すると、どうだ。
「一度スラリと読み下ろしたきりで、ピタリとわかるではありませんか!」
狂ったように夢中になって続く十ページ、二十ページを一気呵成に読んだ。
「わかるわかる! おもしろいようにわかる!」


 軍人コースをはずれてから、関口はアテネ・フランセの夜学でフランス語を勉強した。二年後には教師に任じられ、フランス語でフランス語を教えていた。ラテン語も英語も中国語もよくできた。いずれの場合も、「長い文章をそのまま暗記する」という方法が絶大な効果を発揮した。

 今が13歳なら試してみたい方法だが…