年初は「21世紀の資本」で

新年の「読み始め」として、今、世界的に話題になっている「21世紀の資本」(トマ・ピケティ、みすず書房)に挑戦することにした。

 とりあえず、この三が日で全600ページのうち約40ページにあたる「はじめに」を読了した。全体のテーマが明示してあり、読みやすかった。ただ、翻訳の訳語選択には少し違和感を感じた。

著者は、冒頭で全体の問題意識について、こう要約している。

 18世紀以来、富と所得がどう推移してきたかについて、本当にわかっていることは何だろうか?そしてその知識から、今世紀についてのどんな教訓が引き出せるだろうか?


そして、そのすぐ後に、はやくも本書の結論を提示する。

 資本収益率が算出と所得の成長率を上回るとき(19世紀はそうだったし、また今世紀もそうなる見込みがかなり高い)、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出し、それが民主主義社会の基盤となる能力主義的な価値観を大幅に衰退させることになる。

 だからといって、筆者は悲観論者ではない。対策を提示する。それが例えば、資本に対する世界的な累進課税だ。


 以上の論旨を、本文では豊富なデータを駆使して論証していくという。このデータの提示に筆者は自信をみせる。

 本書が突出しているのは、私ができる限り完全で一貫性ある歴史的情報源の集合を集め、長期的な所得と富の分配をめぐる動きを研究しようとしたことだ。

タイトルの日本語は原題に忠実だが、表紙は「Le Capital(資本)」だけが大きく目立つように印刷されている。これは「Das Kapital」(マルクス資本論」のドイツ語原題)を意識してのことだろう。当然、ピケティも意識的にこのタイトルにしたと思われる。ならば「21世紀の資本論」とした方が、著者の含意に忠実だったかもしれない。ただ、この本は、「資本論」と同様に資本主義に対する原理的な批判ではあるが、ピケティはマルクス主義には否定的だ。

 私の属する世代(1971年生まれ)は、共産主義独裁制の崩壊のニュースを聞きながら成人して、そうした政権やソ連に対してはいささかの親近感もノスタルジアも感じたことはない。反資本主義を謳う、伝統的ながら怠惰なレトリックに対しては生涯にわたる免疫ができている。…格差や資本主義の糾弾それ自体を自己目的化する気はまったくないー特に社会的な格差は、正当なものなら、それ自体としては問題ではないのだから。

 このあたりが、アメリカ人に「安心感」を与え、ベストセラーになった背景になったのかもしれない。その一方で「結局、新手の社会民主主義じゃないか」と「怠惰な伝統的左翼」から難癖がつきそうな気もする。
 
ちなみにピケティは先日、フランス政府からこの功績によって仏政府の勲章「レジオン・ドヌール」を辞退したと報じられた。英BBCによれば、拒否の理由について、「ある人物が栄誉に値するかどうかを決めるのは政府の役割ではない」と伝えている。ははは、まったくその通りだ。

さて、明日から本文に進むことにする。