続「マイ・バック・ページ」考

映画「マイ・バック・ページ」の続き。

ユリイカ」6月号が、この作品の監督である山下敦弘の特集を組んでいたので別の角度からの評価も紹介したい。(コンパクトにするため、正確な引用ではなく、要約した)

大澤 真幸

要するに、これは、若いジャーナリスト(妻夫木演じる記者・沢田)の無残な失敗の記録である。愚かな善人と狡猾な悪人(松山演じる学生運動家・梅山)という紋切り型に解消される。


しかし、このように解釈してしまえば、この作品の倫理的な核は完全に見失われる。この作品の倫理上の中心的問いは、沢田のセリフ「なんでおれ、あいつのことを信じちゃったんだろうな?」に要約される。
この問いは、沢田の逮捕・解雇の直後に日本人の全員が経験することの前哨戦だからである。それは連合赤軍事件だ。


 当時、相当数の日本人が連合赤軍を信じていた。それだけに、「仲間殺し」を知った時、「裏切られた」と感じ、多くの日本人は「なんでおれたち、あいつらのことを信じちゃったんだろう」と自問しただろう。


1960年代の末期とは、理想の時代の末期である。六〇年代末期の若者たちの理想は、否定だけを内容とするような理想、それまでのあらゆる戦後的理想―アメリカ型民主主義とかソ連スターリン体制―の否定だけで成り立っている理想である。それは、「何でないか」ははっきりしていても、「何であるか」を誰もわからない理想、むしろ積極的になんであるかを明示することを拒否するような理想であった。


この映画では、こうした理想の時代の末期的症状が描かれている。革命家(松山)は理想を持たず、革命家であることだけを目的とする革命家である。一方、社会を外から観察するジャーナリスト(妻夫木)の方が理想にあこがれている。その結果、ジャーナリストは、空虚な革命家に理想を読みこんでしまい、だまされてしまう。この意味で時代的な必然性がある。
                 


うーん、紋切り型の構図は否定したが、かわりに、自分の思いついた構図に無理やりはめ込んでいる気がする。社会学者の悪い癖。「思いついた構図」がもう少し斬新ならば「説明の芸」として成立するが、これ自体が紋切り型の一種に思える。

小熊英二


よくできた映画だった。

小道具などの時代考証が徹底していた。登場人物たち、とくに年長者の「顔」が、いまどきの中年には見られないような、いかにも「当時の大人」の顔だった。



川本の「マイ・バック・ページ」は、「うしろめたさ」が作品全体を規定している。川本はいう。「六〇年代にはまだ正義があった」と美化されて語られるが、それは間違っている。私たちは、安全地帯にいながら戦争に反対することの『正義』に、うしろめたさも感じていた」。その「負い目を断ち切るには自ら過激な行動にダイビングするしかない」という「うしろめたさに衝き上げられた焦燥感」こそが、この時代の「過激な行動」の背景だったともいう。


映画版では「うしろめたさ」は重要視されず、「本物になれなかった」がテーマになっている。活動実体のない活動家(松山)は、「俺を本物にしてくれ」とメンバーにもらす。記者(妻夫木)も「本物のジャーナリスト」になりたいと思うが、先輩から「うちは大学新聞を作っているんじゃねえんだぞ」と未熟さを一喝される。まさにこれは「本物になれなかった二人」の物語である。

             

左翼シンパになった動機を説明する際には、「うしろめたさ」は有効なキーワードだ。プチブル動揺分子なる「死語」もある。ただ、小熊は、「うしろめたさ」と「本物志向の挫折」を別物だとしているが、「本物になれないうしろめたさ」と合体させた方が説明道具としては機能すると思う。

 「本物」のジャーナリストになろうと願う沢田(妻夫木)は、映画においても、「現実」に妥協していく「実物」の記者たちに模範を見いだせない。沢田は先輩たちのあり方を拒否するが、その結果として現実のジャーナリストであることをやめさせられてしまう。「実物」になることを拒否し、「本物」になることもできない沢田は、現実の世界に居場所を見いだせず、オールナイトの暗闇で映画の虚構に身を沈めるしかない。


 なぜ、川本が後年、映画評論の道に進んだのか、明確な説明となっている。

 原作では、学生運動を支持したり、詩や音楽に理解のある権威に反抗的な先輩記者たちが登場するが、「味方」だと思っていた彼らが土壇場で組織の側につき、主人公(妻夫木)を見捨てる。しかし、映画では、先輩記者たちはみんなカウンターカルチャーを理解せず、といって明確な敵でもなく、主人公の甘えを正してくれる父親的存在でもある。ここでは、原作にあった対決も連帯も、決別もぼやけている。


 小熊は、ここに山下・向井コンビの当時を描く限界、見方を変えると、現代性をみる。


 この映画は、「あの時代」の時代考証をつみあげ、設定も台詞も原作にほぼ忠実であるのに、「何かが違う」のである。この映画は1971年を題材にしているが、まぎれもなく2011年の作品である。しかし、それでいいのだと思う。

 「説明の芸」として一番皮肉が効いて面白かったのは、古市憲寿の以下の論考だった。

古市憲寿

 学生運動が盛んだった「あの時代」を、現代人はついつい「政治の季節」や「熱い時代」として描きがちである。しかし、「あの時代」はそこまで特別だったのだろうか。僕に言わせれば、ただ単に当時は本格的な消費社会が到来する前で、今でいう「意識の高い学生たち」の受け皿が学生運動ぐらいしかなかっただけの話である。


 自意識を持て余した当時の学生運動家が現代で学生生活を送っていたら、暑苦しい学生団体を組織してビジネスコンテストに応募してもよし、ブログやツイッターで何十人かのフォロワーがつくことで承認欲求を満たしてもいい。自意識の受け皿は無数に用意されている。中二病患者が中二病患者のまま生きていける幸せな社会だ。

 
 統計をみると、1971年当時、社会的価値を求める「まじめ」志向が減少し、私的自由を求める「あそび」志向が上昇していた。

 「身近なことに悩める」時代の到来は、同時に一部の「意識の高い」若者には「生きづらさ」をもたらすものだった。小熊英二の言葉でいえば「現代的不幸」だ。彼らは、高度成長と大量消費文化の浸透の中で「閉塞感」、「空虚感」、「リアリティの欠如」といった「生きづらさ」の中に生きていた。


 映画の中で沢田(妻夫木)は「企業で働くこと」に時折葛藤をみせる。だけど結局、最後まで「企業で働くこと」にしがみつこうとする。というか、それを自明のことだと思ってさえいる。それなのに、ジャーナリズムについてうじうじ悩む。


 梅山(松山)は、革命後のプランさえもなく革命を企てる。自分が社会部に所属することを自慢する記者。彼らは、自分が何をしたいのかもわからず、それを正当化するために「ジャーナリズム」とか「革命」だとかを持ち出しているにすぎない。この映画は、そんなちっぽけな男たちの物語だ。


 糾弾したい訳じゃない。ただ単純に、僕はちっぽけな男たちが、ちっぽけな男でいることが許されなかった状況を不憫に思うだけだ。


 長らく日本では、ちっぽけな男たちを立派に見せるためのパッケージが「企業で働くこと」であり、スーツにネクタイという小道具だった。


 平和というのは、なんとも情けないものだ。小熊流にいえば、「しかし、それでいいのだと思う」。