久々に論語ネタです。
「儒教は上下の身分道徳を重要視するので、下位者が上位者に反論するなんて許されない」と思われがちだが、さにあらず。孔子は、君主が間違っていたら嫌がられても注意するのが臣下の務めである」と説いている。
子路、君に事(つか)へんことを問ふ。子曰く、「欺くことなかれ。而して之を犯せ」。(憲問第十四)
儒教における君臣関係については以前、触れたことがあるが、ここで復習しておく。
まずは、初版以来四十年以上経っても朱子学解説書としての高い評判を維持している「朱子学と陽明学」(島田虔二、岩波新書)からの要約引用。
日本で臣下の道徳とされている「君、君たらざるとも、臣、臣たらざるべからず」(君主がボンクラでも、臣下はあくまで臣下たるべし)、「忠君は二君に仕えず」式の考え方が、朱子学本来の考え方であったようには思えない。
儒教には「父子天合」に対して「君臣義合」というテーゼがある。「礼記」曲礼篇に、父が間違った行いをした場合、子は「三たび諫めて聴かれざれば、すなわち号泣して之に従う」、しかし君に対して臣は「三たび諫めて聴かざれば、すなわち之を逃(さ)る」と記載されている。
儒教的世界は、国家と家族(個人)との二つの中心を有する楕円である。それをいずれか一方の中心へ収斂させて円にしようとするような、かつての日本の「忠孝一致」のプリンシプルから安易に類推することはできない。
これに対し、吉田松陰は以下のように激しく反発している。
凡そ、君と父とは、其の義、一なり。わが君を愚なりとして他に往き別の君を求むるは、わが父を頑愚として家を出で隣家の翁を父とするにひとし。「講孟余話」序説
わが講師、いわく
中国も朝鮮も、王様に文句を言うことで儒教的ポイントをあげたがっている側近に囲まれていた。これには王様も苦労したようだ。諫言の内容も側近によって異なり、それによって派閥が出来てしまう状況だった。中国の明時代後半は、王様は臣下たちの諫言に包囲され自分の意見が通らなくなり、奥の院に引きこもったり、わざと無茶苦茶な意見を表明したりするようになり、弊害も大きかった。清時代は少数民族政権ゆえの支配の緊張感があり、明末期ほどの王の無力化には至らなかったが。
いやはや王様も気楽な商売ではなかったようだ。ゼロでも、多すぎてもダメ。「適度な諫言」が担保された組織、そんなもん、あるとは思えないが。
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anonymity保持にいささか問題が生じ、ブログ中断も考えましたが…結局、続けることにしました。