黒船と幕府の対応

大人になってからNHKの大河ドラマを継続して見た記憶はない。特に近年はアイドル起用が目立ち、芸能人かくし芸大会の様相を呈していたため、まったく関心を失っていた。
 しかし、昨年末、NHKの策略にまんまとはまって「坂の上の雲」を見てしまった。その勢いで「龍馬伝」へ。
 マンガ的ではあるが、それなりに面白い。画面もフィルム的な処理がなされ、映画の感触がある。

 「幕末から明治初期」と「戦争に至る昭和前期」の二つの時期は、日本の今と将来を考える上で何度も参照すべき二冊の重要な参考書だ。せっかくの機会なので、「龍馬伝」の進行に合わせて「幕末から維新の時代」を復習してみたい。

 1回目は黒船来航。参考文献は「シリーズ日本近現代史① 幕末・維新」(井上勝生、岩波新書)です。
 
 まず黒船の大きさから。
 ドラマでは、竜馬が黒船を海岸で目撃し、その大きさに衝撃を受ける場面があった。
 四隻のうち二隻が蒸気軍艦で、旗艦のサスクェハナ号は2450トン。当時の和船最大の千石船が100トン級であり、その差は24倍以上もあった。確かに、これは腰を抜かすはずだ。

 次は、井上勝生氏による「幕末史の読みかえ」を紹介する。

 黒船来航については、以下のような理解が一般的だろう。
 「江戸幕府は、突然のペリー来航に驚愕、黒船に西洋の軍事力の威力を見せつけられ弱腰になり、屈辱的な不平等条約締結につながっていった。」

 しかし、井上はこう宣言する。
 
「幕末・維新期の対外的危機の大きさを強調するこれまでの評価を大幅に見直す必要がある」


 幕府は当時の国際法もそれなりに研究しており、幕末外交もその力量を発揮した。また、江戸時代を通じて変化に対応できる成熟した社会が形成されており、開国は外圧だけでなく、内部的な理由もあり比較的早期に定着した。これが井上の主張だ。

 たとえば、商人たちは逃げだすどころか、ビジネスチャンスを求めて開港場に殺到した。さらに、もし対外危機がそれほど深刻だったら、明治がスタートした直後になぜ政府の要人たちが次々と長期間、欧米視察の旅に出られたのか、説明がつかない。

 また黒船来航は、民衆にとっては驚きだったが、幕府は事前に知っていた。実は、オランダが毎年、最新の国際情勢を江戸幕府に送っており、ペリー来航についても1年前に、米国がペリーに日本行きを命じたこと、その目的は第一に通商、第二に貯炭所であること、武器も積み込んでおり、場合によっては上陸して戦闘になる可能性もあることなどを知らせていた。

 軍備についても幕府はそれなりに近代化を図っていた。黒船が久里浜沖を通過したちょうどその時、久里浜の海辺では浦賀奉行はじめ60人の武士がボンベン・モルチール砲と呼ばれる大砲の砲撃訓練をしていた。6日後、この時訓練していた武士たちが、久里浜に上陸した300人の米海軍水兵を警護した。この時、米兵はマスケット銃武装していたが、日本側の武士たちが持っていたのも同じマスケット銃だった。
 最初に黒船に検問のため乗り込んだ与力の中島三郎助は、中下級武士だったが、黒船の大砲を見て、「これはパクサンズ砲(フランス製の最新巨砲)か。射程距離はどのくらいか」と尋ねたという。

 幕府は、「大国の中国」が阿片戦争で西洋に敗れた事実も知っており、さらに江戸城は海岸からわずか3キロでペリー艦隊の射程距離に入る。こうした事情を勘案して避戦を選択したが、決してパニックになったわけではなかったということだ。なかなかやるな、江戸幕府