戦後日本と戦間期の思想

 保阪正康氏が、最近の安倍内閣の動きは、これまで戦後日本になかった「戦間期の思想」を作り出す動きではないかと、警告している。(毎日新聞12月14日朝刊)

 A国とB国が戦争状態になり、どちらが勝ったにせよ敗れた国は必ず復讐や失地回復、収奪された領土を奪い返す戦いを考える。

 
 第一次大戦に敗れたドイツでは、ヒトラーが敗戦による国民の屈辱、不満をすくいとって戦勝国への徹底した復讐を実行した。日露戦争では戦勝国・日本はロシアの復讐を警戒していたが、ロシアは昭和20年に中立条約を破って侵攻し復讐をはたした。

 しかし、太平洋戦争後の日本は、(戦勝国に対する復讐をめざす)戦間期を決して持とうとしなかった。軍事大国を目指し、失った領土や資源、さらにその「屈辱」を取り戻そうとヒトラーのようなタイプの言説を受け入れず、非軍事大国を目指した。日本は、「戦間期を持たない」、いや「戦間期の思想や体制」をまったく目指さない国家として戦後68年を歩んできたのである。


 保阪は、この理由として現行憲法の平和主義のほかに、江戸幕府体制で培われた共同体の論理や生活規範にあったのでは、と述べる。

 特定秘密保護法集団的自衛権の解釈など、なんだか「戦間期の思想」を作り出そうとしているのではとの不安が高まっている。昭和20年8月までの昭和前史をもう一回やり直そうとしているのではないか。


 戦後日本が保阪のいう「戦間期」を持たなかったのは、米国の圧倒的な影響力のもとで「持てなかった」との事情もある。その結果、戦勝国に対しての復讐を抑圧された右派が、憎悪を内外の左派(ソ連、中国、北朝鮮日本共産党新左翼勢力など)に振り向けたともいえる。

 いずれにせよ、理由は複数あり、しかも相互に入り組んでいる。ただ、「戦間期」との切り口は、いまでも十分に有効であることを教えられた。