首相、改憲日程を明言

 今日は、憲法記念日。しかも今年は、日本国憲法の施行から70年目にあたる節目の年。読売新聞の安倍首相インタビューが目を引いた。

 主なポイントは、①憲法改正し2020年施行をめざす②9条の1項、2項は維持したうえで自衛隊の存在を明記した条項を追加する③自民党の改正草案にはこだわらないー3点だ。

「改正しやすい環境権などから手をつけるのでは」、「国防軍の名称にこだわるのでは」「具体的日程はギリギリまで明らかにしないのでは」…などの観測が流れていたが、首相自ら、今後の方針を具体的に明示し、攻勢に出てきた。読売は、今後のシナリオについて、国民投票を19年夏の参院選と同日実施するのが本命、と報じている。

 焦点の9条改正については、「現行条文に自衛隊の規定を追加」という、ある意味穏当な内容となっている。公明党の「加憲」に近く、民進党の前原も枝野も、かつて同趣旨の提案を行っており、改正実現をめざした「現実的提言」と言える。ただ、憲法改正派には、「改正は必要だが、安倍政権下でやるのは反対」という人たちも多い。

 今回の安倍発言で、改憲論議が動き出しそうだ。

前衛主義者としての安倍

安倍政権ネタを続けます。

『政治が危ない』(御厨貴、芹川洋一、日本経済新聞出版社)から抜粋。二人とも、保守派に分類される立場で、安倍と直接、言葉を交わし、観察できる位置にいた。その二人の言葉なので、証言としては価値があるかも。

(御厨)ある派閥の領袖は「自分は安倍ちゃんのやっていることは、集団自衛権歴史認識靖国参拝、いちいち反対だ。でもせっかく与党に戻ったんだから4-5年はやっていたいよ。与党気分は楽しいからな」って言っていた(笑い)

 笑い事じゃないだろう。

(御厨)安倍は「何かをやっている感じが大事だ」と。「やった感」じゃないよ、「やってる感」ですね。
  僕が安倍さんにインタビューして、「アベノミクスは本当に成功したんですか」と聞いたら、「アベノミクスっていうのは『やってる感』なんだから、成功とか不成功とかは関係ない」と言うんですね。

(芹川)内閣官房副長官に警察官僚出身の75歳の杉田和博をずっと起用している。事実上の政治任命。菅と杉田で各省の幹部人事を仕切っている。

(御厨)安倍は根本的に人間を信用していない。一次政権後に多数から裏切られた。
昔は派閥連合政治なので、政権維持には多数派形成が必要。しかし、安倍は「自分はマイノリティだ」と自己規定している。「マイノリティは常に言い続けないと引っ張っていけない」と盛んに口にする。私は安倍は「前衛」だと思う。

 「フロントに立っている前衛は、勢力が少なくても精鋭であればよい。だからマイノリティそのものが増える必要はない」との発想。何も考えないマジョリティを先導する。これも人間不信の一面。ある意味、前衛党。前衛党は質的に同志的結合があればいい。岸のような戦前の革新官僚的発想に通じる。マイノリティであることが気にならない。

 それは基本的に後継者を作らないことにもつながっている。自分の後継者なんか信用していない。徹底した人間不信。そのうち仕方なく後継者も作るかもしれないけれど、それだって積極的にという気はまるでないんじゃないか。これは異常ですよ。


(芹川)自民党政権は自分で終わっていいと思っているんですかね。自民党は派閥が壊れて人材養成機能がなくなった。人材育成機能が内在しない組織は絶対にもちません。私も自民党は長くないと実は思っています。ポスト安倍は安倍。
 中堅は、自民よりも民進党の方が人材豊富。作戦参謀は安住淳玉木雄一郎も評価が高い。
 安倍は石破に警戒感。07年7月の参院選安倍自民党は大敗して9月に退陣。8月の代議士会で、小坂憲次、石破、中谷元後藤田正純(KING)の4人が安倍批判した。安倍はこれを根に持っている。

 安倍が前衛主義者という指摘は、面白い。

言霊信仰としての「改憲」

 毎日新聞に藻谷浩介が、『安倍官邸権力の正体』(大下英治、角川新書)についての書評を書いていた。

 「チーム安倍」は、憲法改正という悲願その一点のために支持率を一定水準以上に維持できるよう、他のあらゆることをその手段として邁進しているらしい。

 評者(藻谷)には、憲法改正という目的自体がもはや自己目的化していて「とにかく何でもいいので字句を変えることができれば、そこから日本は変わるのだ!」というような、一種の言霊信仰の世界に陥っているようにみえる。

 だが仮にそうであろうとも、支持率維持の職人としての彼らの活動は、恐るべき完成度をもって日本の民主主義システムを動かしているのだ。


 民主党時代からの民進党の体たらくや中国、北朝鮮の強硬姿勢が大きな「味方」になっているとはいえ、その状況を政権支持へと結びつける意識的な「営業努力」は、前例がないかもしれない。大雑把で単線的な右傾化が緻密な政権運営によって進行しているというわけか。

 今日から、またなるべく続けて書いていきたい。

七回忌とカミサマ

今日はオヤジの七回忌。6年前の今日、同僚と出先で昼食中に、病院にいた妻からのメールで訃報を知らされた。自宅に喪服を取りに戻り、すぐに空港へ向かった。思い出したくないが、忘れてはいけない日だ。

今朝は出勤前に、お寺に行った。帰宅したら先日注文していた本が届いていた。「阪田寛夫詩集」(ハルキ文庫)。文学にまったく無縁のオヤジだったが、線香代わりに、この詩集から私のお気に入り一作を捧げることにする。

 カミサマ


こんなに さむい
おてんき つくって
かみさまって
やなひとね

安倍首相が通訳!日米首脳会談、珍場面

日米首脳会談で、笑えるネタをBBCの動画で発見したので、お知らせする次第です。ほほえましくもあり、まさか本番もこの調子じゃないだろうなと不安になったり…。

場面は、ホワイトハウスでの両首脳フォトセッション。日本人カメラマンたちが、カメラ目線の写真がほしくて、両首脳に向かって日本語で「こちら、お願いしまーす」と声をかけていた。

すると、トランプ大統領が安倍首相に「彼らはなんていってるんだ?」と質問。安倍首相の答えは…動画をご覧ください。首相の「通訳」に対するトランプの反応、さらに、それを受けてのわが首相の表情にご注目あれ。


http://www.bbc.com/news/world-europe-38935923

ボブ・ディランと半可通応援歌

小田嶋隆ツィッター記事に、絶滅寸前の半可通の一人として「その通り」と深くうなづいた。

「自分がちょっと詳しい分野の話をうれしそうに語る人」が「なるほどお詳しいんですね」と言ってもらえず、「半可通がしたり顔でウンチクを垂れまくりやがってウザいったらありゃしねえ」と陰口を言われるようになったことが、21世紀にはいってからの一番大きな変化なのではないか。

半可通がありがたがられなくなったのは、WikipediaGoogleのせいかもしれない。自分の知らないことを誰かに教えてもらっても、「うっせえな、そんなの検索すれば誰にだってわかる」と思う人が増えたのではなかろうか。

「自前の知識なり情報がアタマの中にはいっていること」と、「検索すればソースにたどりつける」ことの間には、ものすごく大きな距離があるということを、学校教育できちんと教えないといけないと思う。でないと、知識が尊敬されなくなる。クラウドにある知識とアタマの中にある知識は全然違うぞ。

アタマの中にある知識は、ものを考えるためのベースになる。だからこそ、知識はアタマの中に詰め込んでおく必要がある。クラウドの上に保存してあることをベースにものを考えることはできない。当たり前の話だけど、この違いは大きい

ここで、突然、時の人になったボブ・ディラン登場。

昨日までボブ・ディランの名前すら知らなかった人間でも、検索すればひと通りのプロフィールにアクセスできる。彼がそうやって5分で手に入れた知識と、別の人間が30年かけてレコードを買い、コンサートに出かけながら蓄えた知識の間に表面上の違いは無いが、背景にある情報量はまるで違う。


10年ぶりにボブ・ディランの3枚組CD「Bob Dylan biograph」聴きながら…

小田嶋ツィッターは下記の通り
https://twitter.com/tako_ashi

処女作で春樹節全開

 またまた村上春樹。まだ未読だったデビュー作『風の歌を聴け』を読んでみた。
これについて、村上自身はこう語っている。

“いわば開き直って、思いつくままにすらすら書いただけの作品だったから、そんなもの(『風の歌を聴け』」)が最終選考(「群像」新人賞)に残るなんて予想してもいませんでした。原稿のコピーさえとっていません。だからもし最終選考に残っていなかったら、その作品はどこかに永遠に消えてなくなってしまっていたはずです。そして僕は小説なんて二度と書いていなかったかもしれません”


“『風の歌を聴け』が「群像」新人賞に選ばれたときは本当に素直に嬉しかった。というのは、その賞が作家としての「入場券」になったからです。その入場券一枚さえあれば、あとのことはなんとでもなるだろうと僕は考えていました。
(最初の2作品について)僕自身はそれほど納得していなかった。それらの作品を書いていて、自分が本来持っている力のまだ二、三割しか出せていないな、という実感がありました。…だから入場券としてはそれなりに有効だけど、これくらいのレベルのもので芥川賞までもらってしまうと、逆に余分な荷物を背負い込むことになるかもしれない、という気がしたのです”


「二、三割しか力が出せていない」との自己評価だが、「力」はともかく、その後の村上作品の要素はすでに7割はここに入っている。

既存社会への違和感、それを抱くもの同士の「共感なき同志愛」、非日本的なスタイリッシュな比喩をまぶした会話、生活感のない理想化された女性…それらをすべて乗せている舞台としての「無意味さ」あるいは「前提としての死」


「作家は処女作に向かって成熟する」。亀井勝一郎だったかな。村上の場合、成熟かどうかは議論があるところでしょうが。