ボブ・ディランと半可通応援歌

小田嶋隆ツィッター記事に、絶滅寸前の半可通の一人として「その通り」と深くうなづいた。

「自分がちょっと詳しい分野の話をうれしそうに語る人」が「なるほどお詳しいんですね」と言ってもらえず、「半可通がしたり顔でウンチクを垂れまくりやがってウザいったらありゃしねえ」と陰口を言われるようになったことが、21世紀にはいってからの一番大きな変化なのではないか。

半可通がありがたがられなくなったのは、WikipediaGoogleのせいかもしれない。自分の知らないことを誰かに教えてもらっても、「うっせえな、そんなの検索すれば誰にだってわかる」と思う人が増えたのではなかろうか。

「自前の知識なり情報がアタマの中にはいっていること」と、「検索すればソースにたどりつける」ことの間には、ものすごく大きな距離があるということを、学校教育できちんと教えないといけないと思う。でないと、知識が尊敬されなくなる。クラウドにある知識とアタマの中にある知識は全然違うぞ。

アタマの中にある知識は、ものを考えるためのベースになる。だからこそ、知識はアタマの中に詰め込んでおく必要がある。クラウドの上に保存してあることをベースにものを考えることはできない。当たり前の話だけど、この違いは大きい

ここで、突然、時の人になったボブ・ディラン登場。

昨日までボブ・ディランの名前すら知らなかった人間でも、検索すればひと通りのプロフィールにアクセスできる。彼がそうやって5分で手に入れた知識と、別の人間が30年かけてレコードを買い、コンサートに出かけながら蓄えた知識の間に表面上の違いは無いが、背景にある情報量はまるで違う。


10年ぶりにボブ・ディランの3枚組CD「Bob Dylan biograph」聴きながら…

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