処女作で春樹節全開

 またまた村上春樹。まだ未読だったデビュー作『風の歌を聴け』を読んでみた。
これについて、村上自身はこう語っている。

“いわば開き直って、思いつくままにすらすら書いただけの作品だったから、そんなもの(『風の歌を聴け』」)が最終選考(「群像」新人賞)に残るなんて予想してもいませんでした。原稿のコピーさえとっていません。だからもし最終選考に残っていなかったら、その作品はどこかに永遠に消えてなくなってしまっていたはずです。そして僕は小説なんて二度と書いていなかったかもしれません”


“『風の歌を聴け』が「群像」新人賞に選ばれたときは本当に素直に嬉しかった。というのは、その賞が作家としての「入場券」になったからです。その入場券一枚さえあれば、あとのことはなんとでもなるだろうと僕は考えていました。
(最初の2作品について)僕自身はそれほど納得していなかった。それらの作品を書いていて、自分が本来持っている力のまだ二、三割しか出せていないな、という実感がありました。…だから入場券としてはそれなりに有効だけど、これくらいのレベルのもので芥川賞までもらってしまうと、逆に余分な荷物を背負い込むことになるかもしれない、という気がしたのです”


「二、三割しか力が出せていない」との自己評価だが、「力」はともかく、その後の村上作品の要素はすでに7割はここに入っている。

既存社会への違和感、それを抱くもの同士の「共感なき同志愛」、非日本的なスタイリッシュな比喩をまぶした会話、生活感のない理想化された女性…それらをすべて乗せている舞台としての「無意味さ」あるいは「前提としての死」


「作家は処女作に向かって成熟する」。亀井勝一郎だったかな。村上の場合、成熟かどうかは議論があるところでしょうが。