タブーとしての対日協力問題

フランスのヴィシー政権はわずか4年間の対独協力だったが、それでもそのとき誰がどういうふうにドイツに内通したのかについての徹底究明は手控えられた。第四共和政の指導層の中に大量の対独協力者が含まれていたからである。彼らの戦時中のふるまいを暴露して、彼らを処罰し、公職から追放した場合、戦後フランスの行政機構そのものが瓦解するリスクがあった。


ヴィシー政府のテクノクラート第四共和政テクノクラートに「横滑りした」という事実が歴史的検証の主題になるまで(ベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』を嚆矢とする)「自由の国」フランスでさえ40年を要したのである。


 朝鮮の日本統治はそれよりはるかに長い期間、35年にわたって続いた。
植民地統治に協力した朝鮮人テクノクラートの多くは戦後そのまま「反共の砦」の独裁体制の指導層に「横滑り」した。

この35年にわたる植民地支配のあいだに、「対日協力」的な朝鮮人テクノクラートや軍人や警官は彼らの同胞を抑圧し、収奪する植民地官僚に加担してきた。それがどのように組織的に行われたのかという歴史問題は現在の韓国においては決して触れることの許されないタブーである。

それが暴かれれば「日本軍国主義による支配」の犯罪性が希釈されるリスクがあるからである。「被害国」韓国の「加害国」日本に対する倫理的優位性が犯されるリスクがあるからである。戦後70年間の韓国の統治の正統性そのものに対する不信感が吹き出すリスクがあるからである。

そして、仮にそのような研究が公表された場合、日本の極右政治家や極右知識人がどれほどうれしげにそれを書き立てるかは誰にでも簡単に想像できる。

韓国の人々にとって自国歴史の暗部を摘抉することは、どれほど痛みを伴おうとも、国家の根幹を健全なものとするために避けることのできない作業である。けれども、現在の日韓関係のような環境では、そのような研究に手を染める歴史家は自動的に日本の極右政権を利することになる。だから、できない。

でも、この歴史研究が果されない限り、韓国社会は「喉に骨が刺さったまま」である。

韓国の歴史家が20世紀の韓国史を冷静に分析できる立場を確保するためには、「韓国の歴史の暗部を摘抉すること」が現在の韓国にいかなる不利益ももたらさないという保証がなければならない。そして、今の日韓の外交的関係はまさに「韓国人自身が韓国社会の問題を分析する」作業そのものを構造的に妨害しているのである。

愚かでかつ有害なことである。

日韓の連携と友好関係と相互信頼の深化は、韓国人自身が自国の歴史に向き合うために必須の条件なのである。私はそう思う。

内田樹の研究室」
http://blog.tatsuru.com/


 日本による植民地支配時代に対日協力した朝鮮・韓国人の実証的研究について、韓国内でタブーになっているかどうか、私には判断する能力はない。ただ、おそらくそうだろう。朴裕河氏の「帝国の慰安婦」があれほど韓国内で反発されたのも、そのタブーの一端に韓国人自身が触れたからだろう。