追悼、木田元さん

 哲学者の木田元さんが亡くなった。享年85歳。

 初めて買った木田さんの本は「現象学」(岩波新書)だったと思う。もう40年以上前になる。当時のナマイキ系ガキに一人として買ってはみたものの、結局、力不足で読み通せなかった。

 その後、哲学とは直接関係のない職業人生を送ってきた。しかし、十代の頃、「アルとは何か?」と自問した時の体の芯がブルッとくる感覚は、強弱の波はあったが、その後も続き、還暦の今に至っている。

 途中、この感覚が消えかかった時、あらたに力を与えてくれたのが木田さんの著作だった。本格的な著作はこちらの力不足で読み込めないため、もっぱら軽いタッチの哲学エッセイが主だった。それでも、効果はバツグンで、今でも未読の哲学書が書棚で増殖を続けている。

 木田さんは、満州から引き揚げて農林専門学校に在籍していた。農業にはまったく関心がわかず、ドストエフスキーなどを乱読していたが、ある時、ハイデガーの「存在と時間」の翻訳と出会った。さっぱりわからなかったが、木田さんは「この本は、どうしても読まなければならない」と思い込み、急きょ、受験勉強を開始、1950年に東北大哲学科に入学する。

 大学では1年生の秋から半年かけて「存在と時間」をドイツ語で読破した。期待以上に面白かったが、同時に、一度や二度読んだだけでわかる本でないと思い知った。ハイデガーを読み続けたが、論文が書けない。そこのところを木田さん自身の文章で読んでみる。

 いざ論文を書こうとすると一行も書けない。書こうとすると、ハイデガーの文章をそのまま引き写すことになる。要約さえうまくできない。強靭なレトリークに載せて思索を展開するので、そのレトリークを離れて同じことを自分の言葉で言い換えようとしてもできないのである。…一時は、ハイデガーは読むものであって書くものではないと思い定めたくらいである。

 ハイデガーについてはじめて書いたのが、岩波新書現象学」の第四章「実存の現象学」であり、読みはじめてから二十年も経っていた。


 
         「現代思想冒険者たち ハイデガー月報」(講談社


 哲学への問題関心は、自分の場合、知的好奇心とは無縁の場所に根を持っている気がする。木田さんの「存在と時間」との出会いにも、僭越ながら、そうした印象を持つ。怠惰と能力不足で出発点からほとんど進歩がない当方と違い、木田さんは、驚異的な知的体力でそれをぼんやりした関心にとどめず、生涯にわたって、グイグイと哲学の大地を掘り進んだ。

 「あの感覚」が薄れてきたら木田さんの本でカツを入れてもらいながら、難敵ぞろいの哲学書を、苦戦を楽しみつつ読み続けていきたい。

 
 木田さん、ありがとうございました。