カミュ復活と恥じらい

 先日「ペスト」をとりあげたが、トニー・ジャットは「失われた二〇世紀」(NTT出版)でカミュに一章をあてている。

 カミュは43歳でノーベル文学賞を受賞し、1960年に交通事故で死んだ。異例の若さでのノーベル文学賞受賞だが、ジャットによると、当時、カミュの評価は下降していたという。その原因は、文学から不慣れな哲学に重心を移したことにあるという。

 カミュは、時代の趨勢に応じて、自分にはそぐわない類の、しかも並みの才能しか持ち合わせていなかった類の哲学的思索に彼は取り組んでしまった。その哲学的思索が素朴でほとんど独学であったがために、サルトルから残酷かつ痛烈な攻撃を受け、そのせいで「正統的」な左翼知識人からの信用が完膚なきまでに打ち砕かれた。


                             「失われた二〇世紀」(p134)

 また植民地時代のアルジェリア生まれのフランス人だったことも、カミュにジレンマをもたらした。

 大半の知識人と同じく、カミュはフランスのアルジェリア政策を痛烈に批判した。しかし、(アルジェリア育ちとして)ヨーロッパ人のいないアルジェリアを想像できなかったため、かれは中間の道を記述しようとしてもがいた。フランスとアルジェリアの対立が深刻化すると、カミュによるリベラルな妥協案の探究は、絶望的で的外れなものに見えるようになった。かれは沈黙へと退いていった。

 こうしてフランスではカミュは「時代遅れ」になったが、1994年に未完小説「最初の人間」(新潮社)がフランスでベストセラーになった。これは、貧しいヨーロッパ移民の家庭に育ったカミュの自伝的作品で、若死にした父、無学な母を持つ貧しい環境が綴られている。

 父がなく、伝承されるしきたりがないなか…人は遺産をみずから生みださなければならなかった。祖先もなく、記憶もない土地にうまれたのだ。

                                  カミュ

 この作品は、倫理的な基調で貫かれていた。ジャットは、90年代初めのフランスは道徳的声を渇望しており、また、アルジェリアも独立したものの政治的暴力が満ちる国になっていたことが、カミュ復活の背景にあったという。

正義の人カミュは、ある批評家の言を借りれば「かなり下劣な時代の最も高貴なる目撃者」の位置を失っていない。視聴者の前でむなしくとりつくろっては自己宣伝をおこなうメディア型知識人の時代において、カミュならではの実直さ、すなわち彼の張学校教師が「本能的恥じらい」と呼んだものには、本物の魅力が、模造品の世界の中で手製の名作がもつ魅力がある。

 
 「本能的な恥じらい」を持った小説家か。


 公表を前提に職業としてモノを書く人間に「本能的恥じらい」なんかあるもんか、と茶々を入れたくなるが、「ペスト」を翻訳で読んでいても、からかってはいけないような真摯さが作品から伝わってきたのは確かだ。本国と植民地との二律背反に悩んだように、自己表現と羞恥の間で葛藤があったのかもしれない。

「ペスト」の過去記事は以下の通り。

http://d.hatena.ne.jp/fusen55/20120604/1338817187