「ペスト」、神なき倫理へ
少年時代、本がほとんどない家だったが、平凡社の国民百科事典はそろっていた。今では信じられないが、この百科事典は国民的なベストセラーだった。私は、この百科事典を時々パラパラと拾い読みする程度だったが、この百科事典の付録だった「世界の名作文学ダイジェスト」(タイトルは不正確)の方は繰り返し読んだ。記憶力の良い時にあらすじだけを記憶してしまい、東西の名作をすっかり読んだ気になってしまった。この後遺症で、「読んだふり」をして話を合わせるのが得意技になり、現在に至っている。あの時、ダイジェストではなく、百科事典を熱心に読んでいれば…
先日、私の「読んだふり」リストに入っていた「ペスト」(カミュ、新潮文庫)を、あらすじを知ってから40年以上たってようやく完読した。
宗教に依存しない新たな社会倫理をめざすカミュの思想的苦闘がまっすぐ伝わってきた。こんな小説とは思わなかった。憎むべし、ダイジェスト。
ペストに襲われた街で、献身的な医療を続ける医師リウーは、「神を信じているか」と聞かれて、こう答える。
「信じていません。…私は暗夜のなかにいる。そうしてそのなかでなんとかしてはっきり見きわめようと努めているのです」
「(ペストは、街の人々の不信心をとがめる神の怒りだと主張する)パヌルー神父は、書斎の人間です。人の死ぬところを十分見たことがないんです。だから、真理の名において語ったりするんですよ。しかし、つまらない田舎の牧師でも、ちゃんと教区の人々に接触して、臨終の人間の音を聞いたことのあるものなら、私と同じように考えますよ。その悲惨のすぐれたゆえんを証明しようとしたりする前に、まずその手当てをするでしょう」
「この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれない方がいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです。神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで」
医師は、災難を物語化することを拒否し、職業的リアリズムに徹して、ペストに対して「際限なく続く敗北」(リウー)を貫こうとする。
ペストは、病疫のはじめには人を興奮させる壮大なイメージだったが、それは何よりもまず、よどみなく活動する、用心深くかつ遺漏のない、一つの行政事務であった。
リウーがもっと生気溌剌たる状態にあったら、至る所にあふれた死臭は彼を感傷的にしたかもしれなかった。しかし、四時間しか寝なかった場合、人間は一向に感傷的ではない。彼は事物をあるがままにみる。つまり、正しさーいとわしく、また愚劣な正しさーの面から見るのである。
「リアリズムとは愚劣な正しさである」―肝に銘じたい文句である。
普通の人間が、絶対者にすがらず、かといって、ニヒリズムの自暴自棄にも身をゆだねずに、健全な社会を維持するにはどうすればよいのか。このまっとうな問いへの、まっとうな回答がここにあるのかもしれない。