<半隠遁>の魅力

 本棚を整理していたら、「人生を<半分>降りる」(中島義道、ナカニシヤ出版)を見つけた。中島は、二人っきりで酒を飲みたくなるタイプではないが、本を通じて付き合うには、哲学独習者には有益、かつ、くたびれた中年会社員には刺激剤にもなる人物だ。

 パラパラめくってみたら、「いやはや、その通り」とうなずくことばかりで、独り言をつぶやきながらページをめくる手が止まらなくなった。


 中島のいう半隠遁とは、社会のためになるような公職を離れて、残された時間を「自分のために使う」ことを意味する。

 <半隠遁>は世間的にある程度のことをなしとげたあとは、あるいは自分の能力と仕事を見限った時に、あるいは出世ゲームが心底虚しく感じられたときに実践するのが一番いい。


 <半隠遁>はひとつの積極的な生き方なのですから、老衰してぼろぼろになった身体と朦朧とした精神状態であるよりは、まだ体力・気力・知力ともに残っている年齢の方がいい。


 ここで、セネカの言葉が引用されている。

 生きることをやめる土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅しではないか。「道徳論集」

 中島は、<半隠遁>の適齢期は、現代では50歳前後だという。


 ただし、中島は<半隠遁>で手に入れた「自分の時間」をぼんやりしていたり、オタク的な趣味に費やすのはダメだとおっしゃっる。残された時間を自分の死や存在について徹底的に考える時間にあてろ、と力説する。


 本日紹介したくだりは、序章に書かれている。その序章のタイトルが、これまたしびれてしまう。

 あなたはまもなく死んでしまう

 いやはや、晴れた休日の朝にはピッタリの読書だった。

 次回は、「ものを書けば書くほど考えなくなる」という中島理論を紹介したい。