柳田国男の山人考

 久々に「考える人」(新潮社)を買った。特集は「東北―日本の根っこ」だ。


 山折哲雄による柳田国男についての連載「柳田国男、今いずこ」の2回目を読む。「遠野物語」の脚注の仕事への没頭が柳田民俗学の母体になったとの考察から、作品の急所で使用されるキーワードとしての「物深い」との言葉など、冒頭部分は思考の力が直に伝わってきた。しかし、加齢からくる衰えなのか、そのあと、論旨が散漫になっている。


 それでも、触発されて「遠野物語・山の人生」(岩波文庫)を買った。所収の「山人考」は面白かった。


 冒頭、柳田はこう宣言する。

 現在の我々日本国民が、数多の種族の混成だということは、じつはまだ完全には立証せられたわけでもないようでありますが、私の研究はそれをすでに動かぬ通説となったものとして、すなわちこれを発足点といたします。

 柳田は、日本人の民族的構成の歴史を以下のようにまとめている。

 
 天皇の祖先が日本列島にやってきた時(天皇家外来説)、日本にはすでに幾多の先住民がいた。古代の記録では、この先住民たちを「国つ神」と呼んでいる。奈良時代までには新旧種族の精神生活はすっかり融合してしまうが、一部にその痕跡をとどめている。


 その痕跡が、山人である。同化されるのを嫌った先住民の一部が深山の奥深くにこもり、祖先伝来の風習を保持しながら暮らしていた。

 自分の推測としては、上古史上の国津神が末二つに分れ、大半は里に下って常民に混同し、残りは山に入り、または山に留まって、山人とよばれたと見る。

 昔の文献に出てくる天狗や鬼も、実在した山人たちを題材にしたものだと柳田はいう。


 山人考の最後を、柳田はこう結んでいる。

 我々の血の中に、若干の荒い山人の血を混じっているのかも知れぬということは、我々にとってはじつに無限の興味であります。

 後に柳田は、この山人に対する「無限の興味」を捨て、海に関心を移していく。その過程については、昔、触れたことがある。

http://blogs.yahoo.co.jp/soko821/4810113.html