ちょっと昔のリビア訪問記

 リビアで反政府デモが拡大している。エジプトと違い、ここでの反政府デモは文字通りの命がけだ。四半世紀前にリビアを訪問したことがある。これを機に記憶を整理しておきたい。

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 1980年代の半ば。日本のエライさんたちのグループに便乗してリビアに向った。首都トリポリ革命記念日の記念パレードが見られるという。当時、リビアは、北朝鮮アルバニアとともに「世界三大鎖国国家」といわれ、なかなか入国が難しかった。
われわれがパリからトリポリ行きの飛行機に乗る前日、突然、理由もわからず「明日のトリポリ便がキャンセル」との知らせが入った。2日後、ようやく飛行機はパリを飛び立ち、トリポリ空港へ降り立った。後日、この時期にリビアではカダフィ暗殺の情報が流れていたことを報道で知った。


 機中で入国カードを書こうとしたら、記述はすべてアラビア語で、名前の欄さえわからない。一行の中にアラビア語ができる日本人に教えてもらって、記入する。すると、アラブ系やパキスタン系とみられる周辺に座っていた乗客たちが、「俺のカードも書いてくれ」と集まってきた。

 
 ホテルに着くと、一行のうち小生も含め十数人分の部屋が予約されてなかった。世話役だった在日本リビア大使になんとかしてもらおうと大使の部屋に行くと、スーツケースの荷物が床に散乱し、オイオイ泣いていた。真意のほどはわからないが、この大使閣下は、カダフィのお父さんの友達で、昔はラジオの行商をしており、英語がわかるので日本に大使として赴任したとか。ほんとかな。ひと騒動の末、なんとか部屋を確保して眠りについた。

 
 ところが、午前3時ごろ、突然、ドアをノックする音で目が覚めた。「今から出発だ!」と英語のどなり声が廊下に響いている。「あれ、どこに行くの?」。
 寝ぼけたままで別室に案内されると、一人ずつ、証明書用の写真撮影が始まった。事態が呑みこめないまま、フラッシュで寝起きの顔を写され、すぐにバスに乗せられて空港へ向かった。今日は革命記念日なのに、何も見ないまま帰されるのか。そりゃ、ないだろう。


 空港で中型の飛行機に乗せられる。まだ夜明け前だ。
 しばらくすると日が昇ってきた。眼下は薄い茶色の大地がどこまでも広がっている。サハラ砂漠だ。トリポリは海に面しているので、飛行機は南に向っていることになる。予測がまったくできない国だ。こうなったら、予測不可能の状況を楽しむしかない。

 2時間あまり飛んだだろうか。砂漠のなかの飛行場に着陸した。車で集落に入る。カダフィの出生地であるセブハの街だった。サハラ砂漠に接するオアシス都市だが、都市といっても欧米的な都市のイメージとは程遠く、土色の平屋が並ぶ。
平屋のこじゃれた建物に案内される。ここで夜まで待てとの指示だ。イスラムの国なので、もちろんお酒はない。チャイを飲みながら、ボーッと時間をやりすごす。トイレに行って驚いた。ひもを引っ張ると、水がジャーと流れる。なんと水洗だった。賓客用のゲストハウスかもしれない。

 ようやく夕方になる。水洗付き「豪華施設」から車に分乗して、坂道を登って行く。丘の上には学校のような建物があった。広いグラウンドには仮設舞台があり、わが一行は壇上にあげられた。あぐらを組んで周囲を見回すと、壇上には欧米人とみられる白人たちも混じっている。舞台から見下ろすと、夕闇に老若男女がびっしりと校庭を埋めている。何が始まるのだろう。

 待つこと一時間。漆黒の闇に突然、明るいサーチライトが走った。群衆の海のなかに一本の道が出来ている。その光の道を屋根のないジープがゆっくりこちらに向って走ってきた。その車には真っ白い軍服を着た人間が乗り、手を振っている。群衆から歓声がまき起きる。カダフィだ。

 壇上にカダフィが姿を見せると、一層、歓声は大きくなる。芝居がかった演出だが、絵になる人物ではある。
そして、演説が始まった。(続く)

※写真は、セブハのカダフィ演説集会に集まった人たち。参加者は男女別に集まり、これは女性たちの集団。