あの日のカダフィ

 いよいよリビアの首都トリポリで反政府デモが激化してきた。外国人記者の入国が禁止されており、正確な情報はわからない。しかし、情報が厳しく統制された警察国家の中枢で、今後の中東史を左右する大きな激変が進行していることは間違いない。
 
 前回のリビア訪問記の続きで、四半世紀前のカダフィの目撃談を紹介する。


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 80年代半ば。場所は、カダフィの生まれ故郷セブハにある広場だ。夜になった革命記念日の集会が始まった。白い軍服姿のカダフィがオープンカーに乗って登場すると、会場を埋め尽くした群衆から大歓声が上がった。カダフィが提唱する「緑の革命」にちなんで、若い参加者の多くが緑のスカーフを巻いている。

 壇上に立ったカダフィが演説を始める。最初はゆっくりと、だんだん調子が上がってくると、身振りが激しくなる。その度に聴衆から拍手が起きる。残念ながら当方、アラビア語がまったくわからないので、演説の内容は不明だ。

 壇上には各国から招待された外国人記者が並んでいる。外国人記者のなかに30歳前後のフランス人女性記者がいた。サファリジャケットのボタンを上から二つほどはずしている。集会の前に並んでいた女性たちは、その姿が珍しいのか、カダフィの方を見ずに、この女性を無表情のまま凝視していた。


 演説が終わった。するとこの女性記者が突然、カダフィに近づいて行った。ボディガードが囲んでいたが、近くで始めてみる金髪の外国人女性にひるんだのか、茫然としたままだ。女性記者はまんまとカダフィの隣に腰をかがめた。その時、同行していた同じ会社と思われるカメラマンがフラッシュを焚いた。カダフィとのツーショットの成功だ。この間、カダフィは驚きもせず、落ち着いた態度だった。ときおり笑顔さえ見せていた。


 その直後、記者会見があった。この女性記者が、カダフィに向って、こう聞いた。「あなたは外国では狂犬と言われている。それは本当か」。リビア人なら、命を捨てる覚悟をしなければ聞けない質問だ。カダフィは怒るどころか微笑さえ浮かべて、逆にこう聞き返した。
「あなた自身の私の印象を聞きたい」

 女性記者は、「今日、初めて実物に接したが、正直言って、あなたが狂っているとは思えない」と答えた。カダフィは、微笑んだまま、「あなたの感想は正しい」と返答して短い会見は終わった。やりとりは英語だったと思うが、記憶が定かではない。

 
 当時、カダフィは40代前半だったが、実年齢よりも落ち着いているというのが私の印象だった。報道ではエキセントリックなイメージが強かっただけに、余計、その「落ち着きぶり」が焼き付いたのかもしれない。おそらく女性記者もそれまでのイメージと実物の「まともさ」のギャップから、「狂人ではない」と思ったに違いない。

 ただ、「政治的狂人」がいつも叫んだり、わめいたりしているわけではないと、今なら思う。

 銃声に混じって「カダフィを殺せ」と叫ぶ群衆の声を、要塞のような執務室でカダフィはあの日のように落ち着いて聞いているのだろうか。

※写真は、人気のない首都トリポリの通り(1980年代半ば撮影)