ウイルス抱え「ひそやかな花園」へ

 週末、突然の悪感と関節の痛みで医者に行くと、A型インフルエンザだった。今世紀最高体温となり、タミフル飲んで、ひたすら寝た。

 本日はモノが読めるまでに回復。さすがに哲学系は体にこたえるのではと敬遠し、ツンドクのなかから「ひそやかな花園」(角田光代毎日新聞社)を抜き出し、読みだす。
 
 こちらの体調が悪いせいか、後半に入って複数の登場人物が錯綜してしまい、「これはどんな人だっけ」と何度か前半に戻らなくてはならなかった。それでも面白く読み終わった。
 
 テーマは、「子供を持つ」とは何か。もっといえば、「血がつながった関係」とは何か、ということかもしれない。
前回、日本のイエ制度について、「養子縁組が広範に認められた血縁軽視の家族制度」と書いた。興味深かったのは、この本に出てくる「子を持ちたい」との夫婦の強い願望に、ほとんど「イエの存続」が顔を出さないことだ。これは、現代日本では、擬制の血縁関係も内包したイエ制度の崩壊で、かえって「血縁」そのものへの絶対視が進行している状況を反映しているかもしれない。

 
 角田光代の作品は初めてだった。「善」を描く際に、やや類型的になる傾向を感じたが、「鈍感な悪意」を描く手腕には感心した。