血縁軽視の日本の家制度

論語の会」で日本のイエ制度の特異性について話題になった。


 例によって、講師(こうし)いわく…

 日本の「家制度」は、長子男系の世襲が原則だが、子供がいない場合、赤の他人が養子縁組で息子になれば、家督を継がせることが可能で、「家」が続いているとみなされる。こうした家制度は、江戸時代初期に武士からはじまり、農民、商人にまで広がって行った。

 この背景には、日本では、「血」よりも「家業」の継続性が重要視されたことがある。つまり、「家」とは、ある特定の社会的機能を果たすための「ハコ」のようなものと観念された。

 そして、「ハコ」の名前が苗字である。従って、江戸時代は、武士であっても苗字を公式に名乗れるのは、「ハコ」の代表者である当主だけであり、二男、三男は苗字を名乗れなかった。「ハコ」のなかに別の「ハコ」を作ることは禁じられたので、実家にいるかぎり、二男、三男は結婚できなかった。ただ、二男、三男が「ハコ」の主人になる道もあった。それが養子だ。

 家業を継続するためには、ボンクラな実子よりも有能な他人の子を跡継ぎにした方が合理的であり、養子制度は普及した。江戸時代の旗本5000人の相続調査では、旗本の23%が養子であったという。

 名前とは、一種の「ハコ」の中の役割の名称であるため、例えばある造り酒屋の主人が「権兵衛」だとすれば、100年後に同じ店名の造り酒屋で主人の名前も同じ「権兵衛」であり、しかも100年前の「権兵衛」とはまったく血縁関係がない場合も十分可能だ。

 明治の初め、洋行帰りの森有礼も、「血統を正するは欧米諸州の通習にして、倫理の因て以て立つ所なり。亜細亜諸邦に於いては必ずしも然らず。殊に我が国の如き、血統の軽ずる、其の最も甚だしき者なり」(「明六雑誌」第十一号)と書いている。

 中国・朝鮮の「家制度」は厳密な血統絶対主義なので、上記のような場合は、「家が他人に乗っ取られた」ことになり、家の連続性は断たれたことになる。ただし、日本では天皇家だけが血統絶対主義の立場をとっている。


 こうした「家制度」は、世界的にみてかなり異色であり、ある外国人研究者は、「これはfamilyというよりもcooporationだ」と指摘した。

 確かに、会社に近いものがある。