発熱の寝床で子規を読む

 インフルエンザで、おそらく20数年ぶりの「病欠」をした。病気で寝込むとなれば、やはり正岡子規だろう。

 ふらつく頭で「墨汁一滴」をつまみ読みする。これは、子規の最後の病床日記で、明治34年(1901年)1月16日から7月2日まで、途中4日休んだだけで計164回、新聞「日本」に連載された。死の前年にあたり、病状は最悪で、立ちあがることもできず、昼夜を問わず激痛に襲われていた。


 ちょうど110年前の今日(1月31日)付けの日記を見てみる。

 人の希望は初め漠然として大きく、後、漸く小さく確実になるならひなり。

 4、5年前に病に伏した時の子規の希望は、庭の中の歩くことだった。しかし、1、2年立つと、「歩けなくても立てればよし」となり、一昨年夏よりは「座ることができればよし」となる。そして今は…

 一時間なりとも苦痛なく安らかに伏し得ば如何に嬉しからんとは、昨日、今日の我希望なり。小さき望かな。もはや我望みもこのうえは小さくなり得ぬほどの極度まで達したり。

 この次の時期は希望の零となる時期なり。希望の零となる時期、釈迦はこれは涅槃といひ、耶蘇はこれを救ひとやいふらん。

 「希望ゼロ」の時期を「わが死」と書かずに、仏教では「涅槃」といい、キリスト教では「救い」というらしい、と結ぶ。
「死」に解放を求める気持ちと、それに強くすがる気持ちをみせずに「いうらん」と少し距離をとる表現を選んでいる。その心中や如何に。


 この前日の分も興味深い。

 冒頭、「人を笑わせる稼業である落語家の楽屋は、意外にも厳格で窮屈だと聞いている」と始まり、夏目漱石が登場する。

 俳句仲間において、俳句に滑稽趣味を発揮して成功したる者は漱石なり。漱石最もまじめの性質にて、学校にありて生徒を率ゐるにも厳格を主として不規律に流るるを許さず。

 その他、二、三の例があげられ、以下の結論となる。

 思うに、真の滑稽は真面目なる人にして始めて為し能う者にやあるべき。

 激痛に耐えながら、この人は、こんなことを100年以上も前に寝床で書いていた。時に子規、34歳。


 インフルエンザで寝てる場合じゃない。