礼賛、「はじめの穴…」(井坂洋子)

 書評で紹介されて気になっていた本をようやく書店で見つけた。「はじめの穴 終わりの口」(井坂洋子幻戯書房)だ。この本は、なぜだか、ネットではなく、直接、本屋さんで買いたかった。

 現代の詩人たちの作品を紹介しながら、自分史を振りかえるエッセイだ。通勤電車で二日で読了した。久々に「日本語を読む」悦楽に浸り、残りページが少なくなるのを気にしながらの読書だった。こういう女性がいて、モノを書いて生きているんだ、と思うとうれしくなったし、励みにもなった。

 この人は、言葉に自分を合わせようとしない。自分に合う言葉を注意深く選ぶ。そして、言葉を選ぶ行為を積み重ね、結果的に自分が選んだ言葉たちが自分を作っていく。そんな感じがした。
 
家族や友人たちと、そして、なにより自分自身との絶妙の距離感。それを、ささいな情景や人物の描写で、かゆいところに手が届くように絶妙に描いている。

 紹介されている詩人たちも興味深い。佐川ちか、シュペルヴィエル、永瀬清子、松井啓子…未知の詩人たちを知った。

 紹介のために引用すべき部分をさがしてみるが、「決めゼリフ」で読ませる本ではないので、適当な箇所がみつからない。全体がひとつとなって語りかけているからだ。「良い本」とは、こんな風にできているのか、とあらためて感心した。
とはいえ、いくつか断片を紹介します。

ポール・オースターの詩のあと、自分を政治家の妾だと思い込んでいた妄想癖のある文房具屋のおばさん、それに続いて、近所の人たちには自分を娘だと紹介していた祖父母の家の若いお手伝いさんの話がエピソードとして紹介される。そのあとに、以下の文章が続く)


 あかつきの薄ら青い空には、今日は何日の何曜日だという印もない。ただ、生理のように明けたり、昏れたりの繰り返しだ。桜が散って、緑が混じってきたから四月の半ばだと、それがなんだというのだ、とでも言うように、虚空は地上を見下ろしている。いや、見下ろすなんていうのは、思いが強すぎるせいだ。虚空にはこちらの思いばかり際立つ。


 新鮮な血がほしいなあと思う。何かを考えて、その通りに体が動き、実行にためらいがなく、自分の後ろ髪の束の揺れを、首筋が感じるだけのような…

 妄想のなかで、「政治家の妾」や「裕福な家庭の娘」になりたがる「人間の業」に対する怒りと諦念。そのあとに、人間を包む非人間的な大きな世界の存在を感じ、同時に人間の力への信頼も捨てない。

 つまり、「虚空と若い血」の話につながっていく。

 (知人の中年女性から、五十歳直前の夫が若い女と浮気をしていたことを聞かされる。その知人は、衝撃を受けるが、夫にとって自分はただの中年女ではないと受け入れようとする。筆者は、辱めだと反発を感じるが、知人はこういった。)


 「(夫は)そんなに上等な人ではないのよ。私もふつうの女だから、ちょうど釣り合ってる」

 彼女の出した答えに、こちらは黙っている他はなかった。


 じゃあね、と片手をあげて、駅に向っていく後ろ姿を見ていた。老年というには少し間があって、この人も揺れる吊り橋を渡っていくのだなと思う。転落への恐れを細いヒールで支えて。


 悦びはそこに由来するものなのかもしれない。

 最後の一文が効いている。「そこ」とは、どこなのか。


 追記:この本で不満な点が一点あった。それは、紹介された詩人の略歴が、「何年に文部大臣賞」などと受賞歴に偏っていたことだ。編集部で付けたとは思うが、せっかく本文での陰影にとむ作品紹介をしているのに、これでは略歴はない方がましだ。残念だった。ただ、この本を出した幻戯書房が、「20世紀断層 野坂昭如単行本未収録小説集成」を全6冊で出版刊行中であることを知った。これは、間違いなく強い志に支えられた壮挙である。