訒小平の影から左派の天皇愛まで

 「晩年様式集」(大江健三郎講談社)を読んだ。高校生の時、最初に読んでから40年余、中断はあったものの、大江作品とは長い付き合いだ。ファンというより、一種の腐れ縁のような付き合いだ。今回の作品だが、これまでに比べ、散漫で焦点を欠き物語性も希薄で、ネガティブな読後感を抱いた。しかし、直後に「大江健三郎 作者自身を語る」(大江健三郎、聞き手・尾崎真理子、新潮文庫)を読み、作品の背景がよくわかったため、評価を再考する必要を感じている。それがうまくまとまらないため、「更新ナシ」が続いてしまった。ちょっと手ごわいので、来年に回すことにする。


 あとで読もうと思って取っておいた新聞各紙の記事に、年末の整理でようやく目を通している。2013年の残りの日々は、この記事の紹介にあてたいと思う。

 まずは、岩間陽子による「現代中国の父 訒小平」(エズラ・F・ヴォーゲル日本経済新聞出版社)の書評から。(11月17日付け毎日新聞朝刊)

 訒小平が国の実権を握ったとき、彼はすでに70代半ばであった。あの小さな身体で、その年齢から中国の大方向転換を行い得たという偉業の凄まじさが身に沁みる。


 私たちの記憶にある訒小平は、上機嫌でにこにこしながら好奇心丸出しで歩いていた、小さな愛郷あふれる姿だった。だが、強い光には暗い影がある。


 自分は中国のフルシチョフにならない、と何度も訒小平は言う。

 1956年、ソ連共産党第20回大会でフルシチョフスターリンを批判した時、訒小平は中国代表団とともにモスクワにいた。スターリン批判の上に権威を打ち立てようとしたフルシチョフと違い、訒は毛沢東の偉大さを否定しようとはしなかった。


 改革開放の始まりは、小さな火花が燎原の火となっていく瞬間である。国を開き、中国現代化に必要な諸外国の支援を獲得するため、訒はわずか十四か月の間に五回の外遊をこなした。そして、その後の十八年間は一度も国外に出なかった。(この本では)徹頭徹尾、政治的な生き物としての訒小平の輪郭が次第に明らかになっていく。


 米国の少年少女に人気の小さいおじいさんは、同じ瞬間に、ソ連と接近しすぎたベトナムへの軍事進攻を考えている。台湾を自分の在任中に再統一するため「鉄の女」サッチャーから香港を奪い返す。天安門広場の若者たちを容赦なく弾圧する。中国の偉大さと、共産党支配の正統性に関して、彼の中には迷いはない。


 ヴォーゲル氏は、控えめなナレーター役を守りながら、誰かを礼賛したり、糾弾したりすることなく、事件の両面、批判と擁護の双方の論点を説明する。


 ヴォーゲル氏は、「彼以上に世界の歴史に大規模で長期的な影響をもたらした20世紀の指導者が、他にいただろうか」と評価し、訒による構造的変容を、2000年以上前の漢による中華帝国出現以来、もっとも根本的変化と位置づけている。

 訒小平がもたらした巨大な構造的変革によって今の中国がある。今の中国の土台を知るためにも、上下二巻、各3990円の大著に挑む必要がありそうだ。


 次は「動きすぎてはいけない」(河出書房新社)を出して話題になっている立命館大准教授の千葉雅也氏と浅田彰氏の対談から(12月11日付け朝日新聞朝刊)

(千葉)ネット社会では、ささいなことまでSNSで共有され可視化されている。この「接続過剰」のなかで、「個」であるためには「切断」の哲学が必要だ。浅田さんの「逃走」の行方だった横へのつながりが過剰化している。


(浅田)30年前に提案したのは、学校、企業、反体制セクトまで、一丸となって前進しようとするパラノ(妄想症)的なドライブ(力)から「逃げること」。その後、横につながればいい、と。
  今は当局が望めば、裏からすべてを見られる65億総監視社会を招きつつある。個人に規範を内面化させずとも、個人をネットで監視し制御すればよくなった。


(千葉)「不良」の存在を許さない「仁義なき優等生社会」になっている。規範からはずれても許される「適度なグレーゾーン」が失われ、「不良」はシステムからの落後者にされる。一方では形骸化したコミュニケーション、他方では残酷なまでの落後者の排除という両極端に。


(浅田)今の若手論客と呼ばれる人たちは総じて優等生的。「優等生」は、ネットを使ってマイノリティーの声なき声を拾い上げ対話を密にして民主主義のバージョンアップを目指す。しかし、「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論に耐えられなくて黙って出ていくのが真のマイノリティーたる「不良」だ。

 浅田が20代で論壇デビューした時、「優等生」よばわりされていたことを思い出した。

 「一人になること」とは、山中に隠遁することではなく、通信機器を切断することでもたらされる。「一人であること」で初めて可能になる他者との会話の可能性について、ネット世代に気づいてほしい。



 次は、森達也による「日本の左派の最後の希望は現天皇」との倒錯現象の指摘。これは急所をついた現状分析だと思う。(11月27日付け朝日新聞朝刊)

 天皇に対する信頼が今、僕も含め左派リベラルの間で深まっていると思います。


 きっかけのひとつが、2001年の天皇誕生日に先立って記者会見し、『桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じます』と語ったことです。さらに10年にもやはり桓武天皇に触れられ『多くの国から渡来人が移住し、我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました』と。最初の発言は小泉政権下で日韓関係が冷え込んでいました。二度目の発言は、尖閣諸島沖で中国漁船による衝突問題が起きた一か月後です。


 04年の園遊会では、米長邦雄氏の『日本中の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事』との発言に対し、『やはり強制になるということではないことが望ましい』と応じた。明らかに天皇は一定の意思を示していて、追い詰められるばかりの左にとって最後の希望のような存在になっている。倒錯しています。でも白状すると、その心性は僕にもあります。

 
 直感でしかないけれど、人格高潔で信頼できる方だと好感を持っています。そしてそういう自分の心情も含めて、危なっかしいなあとも思います。天皇への依存感情が生まれているわけですから。

 右からだけでなく左も自分たちに都合よく天皇の言葉を解釈し、もてはやす。いわば平成の神格化です。天皇は本来、ここまで近しい存在になってはいけなかったのかもしれませんね。

 GDPで中国に抜かれ、近代化のシンボルである原発で事故が起き、日本は今後間違いなくダウンサイジングの時代に入ります。でも、認めたくないんですよ。アジアの中のワン・オブ・ゼムになってしまうことを。ひそかに醸成してきたアジアへの優越感情をどうにも中和できない。その『現実』と『感情』との軋みが今、ヘイトスピーチや『万世一系』神話の主役である天皇への好感と期待として表われているのではないでしょうか。