ハズレが2本

 最近、仕事で週末がつぶれることが多いが、時間をみつけて、「白夜」、「幸福の国」を観る。残念ながら、二本ともハズレだった。

「白夜」(ロベール・ブレッソン監督)は、ちょっと救いようがなかった。独りよがりの典型的作品。60年から70年にかけて、洋の東西でこの種の深刻めかした「観念映画」がはやったことがあった。映画は文学と違い、登場人物として「生身の人間」、つまり俳優を使う。もうこれだけで、「観念」を描くためには大きなハンディとなる。セリフ(言葉)が観念的なら映像作品も観念的になるとの大きな勘違いが、笑えない喜劇につながった。ブレッソンは、プロの俳優を嫌い、素人を起用したが、これがさらに裏目になった。思い詰めた若い青年が歯の浮いたキザのセリフを大まじめで連発、さらにできそこないの自作の詩の自分の朗読をテープに録音して、自室でうっとりして聞くナルチャン場面では、「このバカタレが!田植えしながら自己陶酔してみろ!」と暗闇の客席で叫びそうになった。
 

 もうひとつの失望は、「希望の国」(園子温)。期待が大きかっただけに、その分、失望も大きかった。
 前作「ヒミズ」は「3.11」をテーマにしていたが、園作品らしく、安易なヒューマニズムに依存せず、過剰な悪人たちがぞろぞろ出てくる内容だった。しかも、善人不在で全体として「人間賛歌」に仕上げる離れ業をやってのけた。

 園作品はこれまで「虚構の濃さ」を推進力にしてきたが、今回はヒューマンドキュメンタリー風に味付けしたため、「虚構のエンジン」が機能せず、いつもの迫力がまったく感じられなかった。「今、作らねば!」との気概はわかるが、やはり拙速の感は否めない。これを「意義ある失敗」にして、このテーマでしつこく作品を作ってほしい。