劉生の多面性と苦悩

 大阪市立美術館岸田劉生展をのぞく。


 以前に東京で観たことはあるが、24歳のときに描いた「道路と土手と堀(切通之写生)」が一番のお目当て。有名な麗子シリーズよりも、私としては、こちらに魅かれる。


  遠近法のゆがみの影響か、坂道が画面中央で不自然に隆起して、観る側に迫ってくる。人はだれもいない。明らかに「坂道」が絵の主人公だ。路上の黒い線は、画面にはないが電信柱の影だといわれている。描かれたのは1915年(大正4年)だ。


 「坂道」はシンボルとしては雄弁である。それは苦難の象徴でもあろうし、「上り坂」の喩えもある。「快晴の空」に希望を読み込むこともできる。ただ、ここは人生論的な味付けはせずに、「坂道」自体の存在感に打たれるだけで十分だと思う。

 劉生(1891−1929)は、黒田清輝の洋画学校で学んだ写実を軸にしながら、後期印象派、浮世絵、中国伝統絵画などにも関心を抱き、画業の上では模索を続けた画家だ。今回の展覧会では、晩年(といっても30代半ばだが)に京都でお茶屋通いに狂っていた時の南画風味の作品も面白かった。


 相撲が好きな腕力自慢であり、一方で、少年時代にキリスト教の洗礼を受ける。神経質だが、洒脱なユーモアも併せ持つ。「苦悩する自我」と「自己韜晦」の共存。なかなか魅力的な多重人格者だ。どんな時期の絵にも、自己批評も含めての批評性がある。「親ばか」ならば娘を実物以上に可愛く描くだろうが、麗子シリーズは時に悪意すら感じられる。

 劉生は、「白樺派」を通じてゴッホセザンヌを知った。というわけで、グッズ売り場で「白樺たちの大正」(関川夏央、文春文庫)を購入した。