「やがて来たる者へ」の被害者史観

 イタリア映画「やがて来たる者へ」を観た。


 第二次大戦中、北イタリアで起きたナチスによる農民虐殺事件をテーマにした映画だが、「第二次大戦のイタリア」といえば「日独伊三国同盟で最初に負けた国」のイメージしかない日本では、なぜナチスとイタリア人が戦っているのか、よく理解できない観客が多いのではなかろうか、と余計な心配をしてしまった。
 
このあたりの歴史的経緯を復習してみる。

 
 1943年(昭和18年)、連合国のシチリア上陸などの戦局悪化を受け、伊ファシスト政権中枢の一部は、密かにムッソリーニ首相解任を計画する。これが功を奏し、同年7月にムッソリーニファシスト政権によって逮捕される。


 ムッソリーニを継いだバドリオ首相は、同盟国ドイツには「戦争継続」の姿勢をとりながら、連合国側と休戦に向けての秘密交渉を始め、9月8日に無条件降伏にあたる休戦を発表した。


 この発表は、それまでの同盟国ドイツはもちろん、自国将兵や一般国民に何の予告もなく行われた。国民は「戦争は終った」と歓迎し、多数の将兵も自主的に武器を捨て部隊を離れた。しかし、ドイツは「休戦はイタリアの裏切り」として、ナポリ以北を占領下においた。この時点でドイツ占領軍に対するイタリア人のよる武装闘争が始まった。
バドリオ政権は同年10月、ドイツに宣戦布告を行って、イタリアは、枢軸陣営から連合国陣営へと180度立場を変えた。


 一方、逮捕されたムッソリーニは9月にドイツ軍に救出され、ドイツ占領地区の北イタリア・サロに設けられた「イタリア社会共和国」(通称サロ共和国)の最高指導者となった。


 ここに、イタリアは敵対する南北二つの政府に分裂して「南北戦争」が始まり、戦いの構図は、一方に、「連合国、バドリオ政府軍、イタリア人パルチザン」、もう一方に、「ドイツ占領軍、イタリア社会共和国軍、イタリア人ファシスト」となった。

 この映画は、占領ドイツ軍とイタリア人パルチザンとの戦い、その戦いに巻き込まれる農民たちを描いている。この映画への大きな不満は、サロ共和国の支えていた「イタリア人ファシスト」の姿がほとんど描かれていないことだ。上記のように、第二次大戦後半は、イタリアにとって、南北に分裂してイタリア人同士が殺し合った「内戦」の性格を持っているが、この映画では「イタリア人はドイツの犠牲者」の面ばかりが強調されている。

 これは、イタリア戦後史で繰り返されてきた自己正当化の構図であり、今回は最新作ゆえに「内戦」の面を描いているのかと期待していただけに失望した。


 パルチザンは、「救国の英雄」として神話化されてきたが、歴史学者パヴォーネは、「レジスタンスによる解放」とは一種の「政治的神話」であり、実態はファシズム共産主義というイデオロギー対立に基づく少数のイタリア人同士の内部抗争だったとしている。さらに、パヴォーネは、パルチザン闘争がもたらした内部抗争こそが、国家としてのアイデンティティを分裂させ、これが戦後イタリアを混迷に追い込んだとも主張している。


 この流れを作った歴史学会の大御所のフェリーチェは「イタリア社会共和国の樹立は、ドイツ占領軍の無法な支配からイタリア国民の守るための必要で正当な措置だった。ファシズムと反ファシズムの言い分はどちらかが正しいのではなく、双方の主張とも相対的な意味を持つにすぎず、両者の戦いは無益で悲惨な同胞殺しだった」と論じている。


 当然、これはファシズムを容認するものとして激しい反発を呼んでおり、論争は続いている。このあたりは、「反ファシズムの危機」(セルジョ・ルッツァット、岩波書店)に詳しい。

 「ナチスの蛮行」は糾弾されるべき歴史的事実であるが、結局、この作品は、イタリア人がイタリア人に向けて作った「ドイツの蛮行を忘れるな」とのメッセージ映画と言えそうだ。もう一皮、二皮めくって、第二次大戦の複雑な地肌を見せてほしかった。