「実体やらなかとよ」

多くの子供がある一時期、死ぬのがとてつもなく恐ろしくなる。この場合、恐怖の対象は「死」一般ではなく、「自分の死」だ。おそらく、「自分は自分」という自我意識の形成期にあるがゆえに、自我消滅である「自分の死」におびえているのだろう。しかも「自分の死」は不可避であり、かなうはずのない絶対敵として恐怖の対象になる。

 風船子の場合も例外ではなかったが、10代に入ると、「自分の死」よりも「モノがアル」ことに戦慄を覚えるようになった。まずは時間と空間の無限、そしてその無限が実在することへの戦慄。底なし沼でも水面はある。過ぎ去った過去が無限とは…今なら、これが線形時間モデルから生じる一種の錯視であると言えるが、今でも線形モデルを「錯視」と断じる真なる基準をわかったわけではない。

 連休で目の前の仕事からしばし離れたせいもあり、机に座って、久々に哲学書を開き、庭の新緑を見ながら浮世離れした愚考に身をまかせている。10代にはよくこんな時間を過ごした。それが今や60代に突入しても、愚考に進展なし。やれやれ。

 「実在」をめぐる論議は、結局、「実在」あるいは「実体」を人間が厳密に認識できるかどうかにかかっている。バークリーのように「存在するとは知覚することである(esse is percipi)」と宣言すれば明快だが、存在の絶対性を保証するほど知覚は完全ではない。

 「実体」の定義は、哲学的には「ens per sui=それ自身で存在するもの」あたりだろうが、認識能力に限界がある人間に、「実体」そのものを完全にとらえることは原理的に無理としかいえない。この無理を冒せば「絶対神」を設定するしかない。

 しかし、「実体」の完全認識が不可能だとしても、目の前の事物を「マボロシ」としたら人間社会自体が成立しない。そこで、大森荘蔵のいう「程々の実在論」でしのぐことになる。

 この関連で、久々に「存在と意味」(廣松渉、岩波)をめくってみた。「1982年12月2日」とペンで記された購入日に、重ねた馬齢をただただ恥じ入るのみだ。

 関係主義世界観の廣松渉は、もちろんこの書で「実体なんかナカ」と断言する。該当箇所の目次は「第三篇第二章 事の物象化と実体主義的錯認の位相」。この章名だけでも、中身を読んだ気になる。

 われわれは「実体の第一次性」という伝統的な想念に対して「関係の第一次性」というテーゼを反立する。


 (すべての事象、事物にみられる)複合的統一体は、可塑的であり、あれこれの性質(つまり、“複合体”の“構成分”)が剥奪されても、基本的には“同じ”当のものとして覚識されつづけるし、夫婦関係・親子関係・物理的規定関係…等々、その都度に現識される関係に先立って既住する相で認知される。しかしながら、原理的にいえば、これは仮現相であって、自存するわけではない。真実に存在するのは錯綜した関係態であって、唯、これが物性化されて性質という相で覚知されるのである。


 とはいっても、多くの事物は、外物が侵入できず(不可入性)、動かそうとすれば抵抗感があり(質量)、触れれば固い(固性)。これは「実在」を裏付けるのではないかとの主張に対しては…

 不可入性、質量性、固性などは、事物にとっていかに内在的・本有的であっれ、所詮は「性質」たるにすぎず、これらの「性質」を「担う」「実体」が「性質」とは別に存在するというのが伝統的思念である。しかし、この場面において、「性質を担う基体」=「実体」とされているのは、「本有的性質」の「複合体」たるにすぎず、「実体そのもの」という格別な存在が表象されているわけではない。実在するのは、「性質の複合体」(正しくは関係態の重畳的結節)だけであり、それで足りる。

 「関係に先立って自存する実体」などはない、というわけだ。廣松節を読んでいると、なんだかそんな気になってくる。


 ただ「実体」をめぐる認識論を考えていると、「世界は主観による構成物だと考えることで初めて客観的認識が成立する」(黒崎政男)と主張した、大御所カントをきちんと読むことが必要となる。40年前からわかっているが、これがなかなかできない。一年前にも、中山元の新訳で「純粋理性批判」(光文社古典新訳文庫)の完全踏破をめざしたが、登山口からわずか10分の地点で足が止まってしまった。生きているうちになんとかしたい。

 われわれのすべての認識が経験と共に始まることには疑いはない。…しかしだからといって、われわれの認識がすべて経験から生じるわけではない。
                     「純粋理性批判


 モノがあるから、見える(実在論
 モノを見るから、存在する(観念論)