ヴァロットン展を観る。
期待以上だった。ヴァロットンは、20代の写実風肖像画に始まり、生涯にわたり、画風も題材も変化を続け、60歳になったとたんに亡くなった。
画家として絶えざる変化の一方で、変わらなかったのは「傍観者としての眼」ではなかったか。たとえば「ポーカー」と題した画には左隅にポーカーをしている中年男性たちを描き、画面中央から右下にかけては大きなテーブルが「主役」として画面を占拠している。自分の家族の食卓風景を描いた絵も、一番大きく描かれているのは画面中央下に真っ黒に描かれた自分の背中だ。
ヴァロットンは、描く対象にも冷淡な視線をそそいでいるが、自分自身に対しても距離感をもっている気がする。
己を空しくして写実に徹底するわけでもなく、かといって、自己の内面を表現しようと熱い思いでキャンパスに向かっているわけでもない。実物再現の職人でもなく、自己愛中心の芸術家でもない。本人は何を考えて、こうした立ち位置で、生涯、画家を続けたのか。あるいは、続けることができたのか。
日本でいえば幕末の生まれだが、近代的、いや20世紀的意味でのニヒリストと言えるかもしれない。その意味で、展覧会のタイトルである「冷たい炎の画家」とは言いえて妙だ。
関心のある向きは、下記の展覧会HPをのぞいてみてください。