イラクを超えたイラク問題

 今回は、イラク情勢についての専門家の分析を要約で紹介してみよう。

 出典は、高岡豊(中東調査会上級研究員)の「『イラクとシャームのイスラーム国』は何に挑戦しているか」(「世界」2014年8月号)

 「イラクとシャームのイスラーム国」(※高岡は、ISISをこう呼ぶ。理由は後述。以下は「イスラーム国」と略・風船子注)は最近突如として出現したわけではない。2004年ごろから活動をはじめた団体を前身としている。


 報道機関によって、イスラーム国は、ISISやISILと表記が異なっているが、これは組織名に含まれている「シャーム」の訳に左右されているからだ。シャームは文脈によりさまざまな範囲を意味するが、これを「シリア地域」ととればISISとなり、「レバント(地中海東岸を示すフランス語)」ととればISILとなる。

 イスラーム国の究極の目的は、イスラム世界からキリスト教ユダヤ教の侵略を排除し、シリア、イラクを含むすべての国家を除去し、単一のイスラム統治を実現することにある。それを考慮すると、「シャーム」の訳は地域を限定する「シリア」でもなく「レバント」でもおかしい。「シャーム」のままがよい。


 イスラーム国はかつて従っていたアルカイーダから、「シリアはヌスラ戦線という別の団体にまかせるので、イラクに専念せよ」と指示を受け、国家の枠組みに依拠するアルカイーダのやり方に反発して、敵対するようになった。イスラーム国の主張が、既存の国家を超える性格を持っていることが重要な点だ。

 ちなみにレバントは、ウィキペディアによれば、下記の意味。

 レバント (Levant) とは東部地中海沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はないが、広義にはギリシャ、トルコ、シリア、キプロスレバノンイスラエル、エジプトを含む地域[1]。現代ではやや狭く、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル(およびパレスチナ自治区)を含む地域を指すことが多い。歴史学では、先史時代・古代・中世にかけてのこれらの地域を指す。
 レヴァントは英語の発音だが、もとはフランス語のルヴァン (Levant) で、「(太陽が)上る」を意味する動詞「lever」の現在分詞「levant」の固有名詞化である。

 高岡氏の分析を続ける。

 イスラーム国の躍進の背景には二つの原因がある。


 一つは、イラクの政治体制の破綻。イラク選挙制度は、政党による選挙連合と、当選後の院内会派の不一致を容認している。そのため、各政治勢力は、宗派的スローガンなどで最も票を取りやすい連合を組んで選挙運動を展開し、選挙後は、自派の権益を最大化するために選挙時とは別の勢力と院内会派を組む。これにより、少数派スンニー派だけでなく、イラク有権者全体が政治過程から疎外されている。米、サウジなどが現状打開のために挙国一致体制を強調するが、これは役職・権益分配の政争が続くだけで抜本的対策ではない。


 第二に、米主導の「テロとの戦い」の破綻。
 イスラーム国は、2004年に「タウヒードとジハード団」としてイラクに現れたが、イラク社会から孤立し2011年時点で国外への移動を検討するほど追いつめられていた。これを蘇生させたのが、シリア危機だった。「国際社会」はアサドの敵対勢力なら何であれ「正しい」として活動を黙認した。イスラーム国は、これを利用してシリアの反体制武装闘争のために供給される資源を受け取り、生き返った。つまり、イスラーム国による破壊と殺戮は、イラクなら「憎むべきテロ」とみなされるが、シリアなら「大義ある反政府活動」として認められた。これは「テロとの戦い」にとって致命的な抜け穴となった。 そして今や、イスラーム国は、イラク軍が放棄した武器を奪取し、シリアでの戦闘に投入しているといわれている。


 イスラーム国は、イラク国内での権益獲得を目的とせず、第一次大戦後の欧州諸国による中東植民地支配を通じて形成された政治秩序(彼らは「サイクス・ピコ体制」と呼んでいる)の打倒を公言している。だから、イラクを連邦化して「スンナ自治区」を設置しても、イスラーム国が武器を捨てるとは思えない。


 欧米が「敵の敵」として武器や物資などで支援した相手が、やがて「手ごわい敵」になる前例が、ムジャヒディンやサダム・フセインなど、中東ではたくさんの前例がある。


 マリキ政権崩壊は時間の問題のようだが、高岡分析によれば、イラク問題はすでにイラクの国内問題ではなく、シリア、イランなど周辺国を含めた地域問題化しており、政権交替で解決するような段階ではない。