佐藤優の「凄み」と「潔さ」

「外務省に告ぐ」(佐藤優新潮文庫)読了。

 今さら言うのもなんだが、外務省はとんでもない怪物を敵に回してしまった。

 内部告発は、組織に追い込まれた者がやけくそになって後先考えずにやる例が多いが、佐藤優は、その辺の「やけくそ告発者」とはモノが違う。用意周到に準備し、告発する相手を実名で名指しし、罪状を具体的に列挙する。

 告発者は身元を明かしている。相手が訴えてきたら、もちろん出るところへ出て勝負する腹は決めている。一人で外務省全体を相手にしている人間に、一人で立ち向かう官僚がいるとは思えない。しかも、ここで告発の対象になっている多くのキャリアが、「オレはえらい」という妄想の持ち主であっても、所詮、実態は「小心な勤め人」だ。

 それにしても、これだけ詳細な記憶は、よほど克明なメモをつけていないと不可能に思われるが、それは凡人を基準にした見方かもしれない。

 佐藤は、「あとがき」でこう書いている。

 国民、政治家、マスメディアと有識者が力をあわせて、外務省改革を進めねば、日本国家と日本国民の利益を保全することができない。この大きな課題の中で、私がやらなくてはならないことがある。私しか知らない、外務省の実態、外務官僚の「素顔」を明らかにし、問題を提起することだ。「魚は頭から腐る」。日本外交の「頭」を救うために全力を尽くさなくてはならないと思う。

 場違いに思える原田マハが「解説」を担当していた。原田自身も「なぜ私が?」と困惑したが、佐藤優自身の指名らしい。これが、なかなか読ませた。

 それにしても、とてつもない本だ。一読して、本書は快楽に満ちていると感じた。「告発」という名の快楽である。強烈な放出である。潔い露出である。


 ここまで書いてきて、「そういえば、『国家の罠』も場違いな女性作家が解説を書いていたのでは」と思い出した。本棚から「国家の罠」を取り出してみると、やはり、そうだった。川上弘美が解説を書いていた。おそらく、これも佐藤の指名だったのだろう。川上の解説を少し紹介する。

 文章を書く力のある人だなあ、と思ったのです。実際の事物の周辺、を書くのは、うそごと、を書くよりも、もしかしたら難しいのではないか、とわたしは思っています。どこを省略してどこをくわしく書くのかという選択に、センスが必要なのです。この作者には、センスがある。

 その、実のある克明な書きように、胸のすく思いだったのです。

 この本ぜんたいが、美学に貫かれているのです。登場する主要な人たちは、みな、自己憐憫におちいらず、感傷におぼれず、自分の仕事の目的を遂行することに関してゆるぎがありません。


いさぎよい。


 一言でいえば、そういうことなのかもしれません。なにより、作者が、そういう美学を通して見ようとしている。それゆえに、その美学からこぼれ落ちてしまう人々や出来事に対して、作者はものすごく厳しい。

 「凄み」と「潔さ」は、佐藤優の魅力を表す二語かもしれない。最後に3年前の関連記事をあげておきます。


http://blogs.yahoo.co.jp/soko821/29037225.html