橋爪の資本論批判

橋爪大三郎マルクス講義」(言視舎)紹介の2回目。

橋爪が指摘する「資本論」の問題点を列挙してみる。

・国際貿易の場面では、同一労働、同一賃金の原則が成り立たないが、「資本論」ではあくまで一国モデルを対象にして貿易問題は無視している。


・生産要素(資本、労働、土地)の最適配置が必要だが、資本家はこれができず、できるのは共産主義というのがマルクスの主張だった。資本を所有する人間たち、すなわち資本家が階級として実在し、この資本家階級から資本の所有権を取り上げるのが共産主義革命のポイントだった。
しかし、例えば、中国では社会主義的管理に市場経済を導入したら、より適した資本の配置が進み、結局、国有企業が私営企業化してしまった。


・「資本論」は非常に限定的なモデルが前提。一国モデルで、かつ単純化してある。例えば、「すべての労働は単純労働である」、「輸送費は無視」、「すべての労働者は生存レベルの賃金しかもらっていない」などの非現実的な条件が前提になっている。


・「資本論」の世界では、労働者は余剰の所得がないので余剰の消費もなく、消費社会にはならない。しかし、現実には労働者は生活維持以上の余剰の賃金を得て、それが余剰の消費を生み、資本主義が機能している。


 橋爪は、生産手段の最適管理者を一律に資本家階級と考えた「資本論」のモデルは強引で誤認だったと指摘する。あくまで、資本の最適管理者を決めるのは、政策の問題であり、従って階級闘争も革命も必要ないというのが橋爪の結論になる。

マルクスの着想は間違っていないが、結論は間違っている。マルクスは、言葉に合わせて現実を切り捨てた。これは倒錯だが、それを「科学」だと呼んだ。


・タクシー会社にとってタクシーが資本。タクシー会社が共産主義化してもタクシーは必要。資本家が追放されたら、かわりに誰が資本の最適配分をやるか。それは共産党である。共産党と資本家の違いは何か。資本家は社会に複数いるが、共産党はひとつしかない。資本主義社会では、複数の資本家が自由競争の結果、資本の適正配分がしやすいが、唯一の官庁(共産党)がすべてを効率的に管理するのは無理がある。
マルクスがダメだったのは、問題を資本家の存在に集約したことにある。


・現代世界は資本の配分も成果の配分も最適ではなく、絶対的窮乏が構造化されている。これはマルクス階級闘争と似ているが、原因がかなり違う。市場経済では、第三世界では労賃が安いので、工場を作れば利益があがる。利益が上がれば労賃を払うことができ、さらに多くの工場が建ち、雇用は拡大する。つまりマーケットに任せておけば、世界はより均一となる方向で資源が配分されるはず。ところが、アフリカなどでは利益のあらかたを王様みたいな人がとってしまい、ますます国民は貧乏になる。冷戦時代には、中ソが社会主義モデルを第三世界に適用しようとしたが、これもうまくいかず、社会主義で経済的に成功しているのは資本主義化した社会主義国だけ。結局、マルクスは、資本をうまく配分して社会をよりよい状態にすることについては何も言っていない。

 経済学的に踏み込んだ「資本論」批判として、橋爪は「マルクスの経済学」(森嶋通夫)を推奨している。