「橋爪大三郎のマルクス講義」(言視舎)を読んでみた。マルクスとリカードの比較や資本論の独創性と限界などの説明は参考になった。
まずは、マルクス主義への対抗思想としての構造主義の位置づけから。
マルクス主義へのアンチテーゼは、いまのところ、ひとつくらいしか出てきていません。構造主義です。
構造主義は、資本主義は必ず社会主義、共産主義になるというマルクス主義の歴史法則に懐疑的だった。そこで、マルクスが歴史的変化のモデルとしてあげた原始的社会(未開社会)と現代社会を比べてみたら、人間の思考パターン(構造)は実はちっとも変化していなかった。人間は進歩していないのだ。
これに対し、マルクスが生きていたら、「人間の思考の構造は同じかもしれないが、物質的条件は時代とともに変化している」と反論すると思う。そのへんはニュアンスの違いです。
「構造主義は、マルクス主義への唯一の対抗思想」と、名著「はじめての構造主義」の著者、橋爪氏は断言する。
ちなみに、同じ構造主義者、内田樹は、「マルクスは、構造主義の源流の一つ」と説明する。
私たちは、ある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちの考え方を基本的なところで決定している。私たちは、自分が思っているほど主体的にものを見ているわけではない。構造主義は、主体や自律性と思われてきたものは実はかなり限定的なものであるという事実を掘り下げたのが構造主義の核心である。マルクスは、人間はどの階級に属するかで「ものの見方」が変わってくると指摘した。
主体がまずあって、それが次々と他の人と関係して自己実現するのではなく、人はネットワークのなかに投げ込まれ、そこで作り出した意味や価値によって、己がだれであるかを事後的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義の根本であり、これはヘーゲルとマルクスから受け継いだものである。
「寝ながら学べる構造主義」(要約的引用)
橋爪によるリカードとマルクスの比較説明も簡にして要を得ていた。
・リカードは「経済学及び課税の原理」で、労働が経済的価値の源泉であり、労働の量は時間で測られるという労働価値説を主張した。マルクスはこれを下敷きに資本論を書いた。しかし、リカードは、比較優位説(国際貿易)と差額地代説では労働価値説の前提を取り払った議論をしている。
・地代(土地の所有者の取り分)や利子(資本の所有者の取り分)があると、労働価値の通りに賃金が払われない。「社会科学におけるニュートン」であり、法則原理主義者のマルクスは、労働価値説に合わない地代と利子を撤廃すべきだと主張するが、リカードは「両者は摩擦のようなもの。現実に近似していく時にはあって当然」と受け入れた。
「資本論」の問題点については次回、紹介する。