蓮實重彦、サッカーW杯を斬る

 サッカーファンでもある蓮實重彦が、今回のW杯を痛烈に批判していた。一理も二理も三理もあるとは思うが、相手の可能性を高度な技術で消しあう戦いもそれなりに面白かった気もする。少なくとも決勝戦は、緊張感のあるいい試合だったと思うが、どうだろうか。


 またこの観点からは、オリンピックに出場する日中韓北朝鮮の選手のほとんどは、国の期待を背負い、「運動することの爽快感や驚き」と無縁の場所で勝負しているといえる。


 国民や国の期待を背負うと、どれほどスポーツがスポーツ以外のものに変化していくか。それを見せつけられた何とも陰惨なW杯でした。サッカーとは本来、「ゲーム」であり、運動することの爽快感や驚きが原点のはずですが、W杯は命がけの「真剣勝負」に見えてしまう。お互いもう少しリラックスしなければ、選手も面白いはずがないし、見ている側も楽しめない。


 負けないための真剣勝負など、見ていて興奮するはずもない。前回の南アフリカW杯で、岡田監督は大会直前、徹底的に防御を重視した「負けないサッカー」へと泥縄的に方針転換しました。確かにそれで一次リーグは突破できましたが、サッカー本来の精神からは程遠いコンセプトだった。


 今回のオランダは5バックというさらに防御重視の戦術で、まるで「岡田ジャパンのなれの果て」のように見えました。勝ち上がるのを優先すればどうしても「岡田化」が進む。しかし、サッカーはどちらかが防御に徹すると、ゲーム自体が成立しなくなる。日本―ギリシャ戦がその典型です。運動の快さを放棄してまで、国が期待する勝利にこだわる。そんな「スポーツの死」には付き合いたくない。

 
 ザッケローニ監督は、岡田監督とは違い、オシムが作った流れを壊さなかった。私はオシムが率いていた時代のジェフ市原の、攻守にわたり選手たちがダイナミックに動くプレーを見て、日本でもサッカーが見られるんだという喜びを感じた。


 今回の日本代表は、前回は岡田監督の急な戦術変更にもかかわらず「運動する知性」があった。今回の代表は知的な面では退化していたが、岡田サッカーで勝つよりも、ああいう負け方の方が日本の未来には良いことだと思う。


         2014年7月19日付け、朝日新聞朝刊

 確かにリスクをどんどん減らす方向をめざすと、スポーツだけではなく、仕事においても、私生活においても、ワクワク、ドキドキ感は減少していく。それでもよいかどうかは、個人の選択というところだろう。