兵士と武士のよじれた関係

「愛と暴力の戦後とその後」(赤坂真理講談社現代新書)の続き。

 学区についての記述が面白かった。


 「学区」というものが、子供の体感世界にはあった。子供にとっての、目に見えない境界線。このあたりまでなら親和性があり、このへんからは違和感に変わるというテリトリーの感覚。日本の公立小学校に学んだ者ならきっとこれを知っているし、そこから公立中学校に進んだものならば、学区の拡大を、急激に大きくなる体と心の拡大と、ひとつに溶け合ったものに感じただろう。


 東京がめちゃくちゃな拡大をしていく前の、空間が人の体感とマッチしていたわずかな時代と、子供の「学区感」は似ている。人間はそんなに大きなものを自分のものとしては体感できない。仮に手にしたところで、そんなに幸せな感じがしない。


 「学区感」について、見事な分析だ。ただナワバリに対する体感領域はそれほど広くないとしながら、別の個所では、日本人が「日本」全体に対していだく距離感のなさに疑問を呈することはない。むしろ前提として議論を進めている。

 個人の体感をはるかに超えた巨大な領域を持つ国家に個人がなぜ「一体化」してしまうのか。時に、一番体感できる共同体である「家族」を犠牲にしてしまうまでの吸引力を持つのか。ナショナリズム分析はここから始まるはずだ。


 次は、「日本軍兵士=武士の末裔」との等式への疑問を提示してみたい。


 明治政府が市民革命ではなく、武士階級内のクーデターによりなった政権だから近代軍隊といえども下敷きは武士だった。


 旧軍人の少なからぬ数が元をただすと武士である。

 この指摘は、ちょっと単純すぎるかもしれない。

 武士の後継者が日本軍兵士であるとの認識は、赤坂だけでなく、一般にも広く浸透している。また近年、野球やサッカーをはじめ、日本人男性を肯定的に表す場合に「サムライ」の語が定着してきた感がある。しかし、近代軍形成と武士との関係は、もう少し複雑でよじれており、その「よじれ」にこそ、日本的特質がある。


 明治初期、はたして近代的軍隊の創設時、武士が国軍兵士のモデルになったのか。

 以下の出典は、「逆説の軍隊」(戸部良一、「日本の近代9」中央公論社)。戸部の執筆時の肩書は、防衛大学校教授である。

 
 まずは、明治五年(1872年)11月の太政官による徴兵告諭を紹介する。

 (武士は)抗顔坐食(=傍若無人にふるまい、働きもせずに食うこと)し、甚だしきに至っては人を殺し、官その罪を問わざる者なり。(徴兵は)是れ、上下を平均し、人権を斉一にする道にして、すなわち兵農を合一にする基なり。


 武士を頂点とする封建制の身分制への激しい否定がみてとれる。

 この背景には、明治政府発足直後に士族によって構成された近衛兵や鎮台兵が藩意識や武士としての上下意識から統制がとれなかったこともある。

 また、士族で軍隊を構成すれば、軍務は彼らの本業であるのでそれなりの給与を支払う必要があったが、誕生まもない明治政府にとってそれは重過ぎる負担だった。徴兵が国民の義務になれば、少額の手当てでも可能であり、訓練を終えた兵を予備役として蓄積すれば、いざという場合に動員が可能になる。

 明治政府は、徴兵制で常備軍を少なくして経費を抑え、予備兵を多くして非常に備えた。


これに対して、特権を奪われる封建エリートであった士族は反発した。

 土百姓等をあつめて人形を作る。果たして何の益あらんや(薩摩藩士族出身の陸軍少将、桐野利秋


 徴兵制が実施されて、すぐに国民軍ができたわけではない。戸部によると、明治8年に陸軍省は、士族兵を逐次除隊させる方針を発表したが、それが完結したのは明治16年だった。


 軍隊の脱武士化が進行するに伴い、軍紀の確立が大きな課題となってきた。そこで、明治11年、山縣陸軍卿の名で軍人訓戒が出され、忠実、勇敢、服従の三要素が強調された。このうち「上官の命令はたとえ不条理であっても従うべし」との規定は、フランス陸軍の教範から取り入れられた。これが明治15年の軍人勅諭になると、「下級のものは上級の命をうくること、実は直ちに朕が命をうくる義なりと心得よ」と、服従の根拠が天皇への忠誠になる。


 また、士族の比率が低くなり、戦士としての精神面強化のため、軍人訓戒では「今の軍人たる者は、たとい世襲ならずとも武士たるうに相違なし」と、今度は肯定的に評価している。ただ封建時代の政治エリートでもあった武士と違い、「朝政を是非し、政府の布告などを批判するなどは軍人の本文と相いれない」として、軍人の政治関与を強く戒めている。


 学生時代、日本政治思想史の教授が、「日本軍は兵士を殴って鍛えていたが、江戸時代のサムライは子供を『おまえは普通の人間ではない。生まれつきえらいのだ』として徹底的に甘やかした。教育方針は真逆だ」と話していたのを思い出した。

 
 国民軍形成には、封建的主従関係をいったん切断する必要があり、実体としての武士階級を兵士からはずした。兵士の大半が非武士階級になってくると、戦意や忠誠の培養のため、近代軍に対応して作成されたイデオロギーとしての「サムライ精神」を兵士にインプットした。あらすじは、こんなところか。