精神のカンフル剤としての吉村昭

 たまった新聞の切り抜きをまとめ読みしていたら、吉村昭讃歌にぶつかった。背骨がふにゃふにゃになった時、こうした文章に出会うと瞬時だが、気合いが入る。

 記録文学という文学の一分野がある。事実の重みを信じて、作家の想像による創作演出をあえて抑える。徹底して取材と調査により、人間や社会をえぐりだす文学である。


 しかし、この創作理念を貫き通せる作家は少ない。吉村昭は、その少ない記録文学作家の独立峰であった。創作を交えれば、ドラマチックでない話を人為的にドラマに仕立てられる。いわば創作小説は、天然でなく養殖物、人造の美男美女のごとく、感動的なドラマを製造した人造物語である。


 しかし、記録文学はそうはいかない。天然自然に生じたドラマを見つけるまで史実の森に分け入って探す。見つからねば、いつまでも書かない。


 したがって、誰よりも取材費をかけて仕事をしているのに記録文学者は寡作になる。作家も生活者である。あえて記録文学を書き続けるのは、よほど志のある人間でなければ、困難である。


 吉村昭は「休まない作家だった。正月以外は、日々取材と執筆に勤しんだ」が、この理由で寡作となった。史実を映じてないと断じれば、容赦なく、何百枚も書きためた原稿を自ら火中に投じたほどである。


 吉村ほど作品の品質を信頼されていた作家もいない。同業作家は当たり前のように吉村作品を踏み台にして引き写した。歴史的事実に著作権はない。苦労して史実を見つけた吉村は、いつも割を食っていた。


 吉村昭は酒場や食堂で独酌していると、よく刑事に間違えられたという。


 東京中で一目置かれる古書店主が、私に、ぼそっと、いったことがある。「このごろは吉村昭を読むね。自分は古文書の現物を売り買いしているから、歴史の現実を見てしまう。他の作家のは嘘っぽくなってきて、若い時分に読むのをやめた」。


 東日本大震災が起きた時、人々が欲しがって品切れになった歴史書は、陳腐な歴史小説ではなかった。吉村昭の名著「三陸海岸津波」であり、「関東大震災」であった。吉村は、関東大震災での犯罪の多発も虐殺も包み隠さなかった。日本人の理性を保つために、この希有な作家は「記録」に生涯をかけた。


 「吉村昭が伝えたかったこと」(文藝春秋編)の磯田道史による書評
 (2013年9月22日、毎日新聞

 「書く仕事」とは、吉村がやったような仕事とのことをいうのだろう。


 不確かかもしれないが、吉村昭のエッセイで記憶に残っている部分がある。

 吉村は取材旅行で新幹線に乗る時は本を読まず、車窓の風景をただぼーっと眺めているのだそうだ。そして、「体のどこも痛くない。ああ、幸せ、幸せ、幸せだなあ」とつぶやくそうだ。


 ストイックで鋭角的な仕事ぶりと茫洋とした人柄の共存。また読みなおしたくなった。