「恋の渦」、美形なしの映像リアリズム

 渋谷のレイトショーで映画「恋の渦」(監督・大根仁)を観た。

 先日の「日本の悲劇」に続き、快作にして、マジ、やべえ怪作だった。人に話したくなる映画だ。

 内容は、渋谷系フリーターたちの群像劇。登場人物はいずれも身勝手で、人格的に欠陥を抱えているアンチャン、ネーチャンたちばかり。登場人物の外見も、通常の映画では見かけない、つまり、一般の路上と同じようにブサイクが多数派を占めている。キャストもワークショップで演技を学んだというセミプロレベルの無名役者ばかりだが、これがいわゆるプロの役者とは次元の違うリアリズムを成立させていた。


 「映画のリアリズムとは何か」を考えさせる作品だった。初期の今村昌平作品に通じるものがある。あるいは、目がつりあがり歯並びの悪い日本人、つまり見世物用ではない、普通のわれわれをマンガに登場させた初期の大友克洋作品も想起した。
 いずれにせよ、容貌への自己愛でゆがんでしまった美男美女がウロウロする映画が失っている現実感を突き付けられた。美男美女が出てこない映画の大きな可能性を強く感じた。


 監督の大根仁は、この怪作を信じられない低予算でわずか四日で撮りあげたという。信じられない。監督、脚本家ともに、タダ者ではない。後生畏るべし。

 強烈なリアリズムに感染したせいか、帰りの電車で、周囲の乗客たちに「おめえら、しけたつらして、やばくない?」と因縁つけそうになり、ちょーやばかった。