「わたしの渡世日記」に、うなる

「わたしの渡世日記」(高峰秀子

 予感はあったが、驚愕した。

四歳で母親に死なれ、叔母に養女としてもらわれ、五歳で子役デビュー、小学校もまともに通えずに一族郎党を養うために働き続け…

 驚愕したのは、こうした凄まじい半生もさることながら、その文体の完成度だ。苛酷な経歴を経て有名人になった人物の自伝は、ゴーストライターによってお涙頂戴の成功物語に仕立てあげられるのがオチだ。
 しかし高峰は、実父に対しては、「私を他人にくれてやった勝手な男。親孝行などという感情が働いたことは一度もなかった」と書き、養母に対しても幼少時に「お前なんか人間じゃない。血塊だ」となじられた経験を記している。しかも、独学で練り上げた文体で。

 かといってドロドロの愛憎劇にはなっていない。高峰には、達観した冷徹な観察眼があり、それをユーモアでまぶして読みやすく仕立てあげる文才(嫌な言葉だが、それ以外に言いようがない)がある。自身の重い過去を、これだけ軽く書ける能力は尋常ではない。

 しかも、この本は、一個人の伝記にとどまらず、高峰が関わった映画監督、俳優たちとの具体的なエピソードが満載され日本映画史の一級資料となっている。若き日の黒沢明との淡い恋が養母によって打ち砕かれる話などは、巨匠・黒沢の知られざる素顔がのぞき、興味深かった。

 高峰と女優業との距離感も独特だ。

 ソ連への逃避行で知られる女優・岡田嘉子が後年、7歳の子役・高峰の思い出を語った談話が紹介されている。


 私は新派の舞台になじめず、劇中、子役だった高峰さんを折檻するところで、『こんな子供を…』と思ってぶつ真似をしたのです。そうしたら、秀子さんに『そんなぶちかたじゃ泣けないじゃないの』と叱られて、私はその一言にハッと目がさめたような気がしたものです…勉強させてもらいました。


 これだけ読むと、幼少時から演技に目覚めていた天才子役ということになるが、高峰自身は当時の自身をこう描いている。


 朝から晩までカメラの前に立たされて、それがなんという題名の映画なのかも知らず、監督の言うセリフをオウム返しに喋っていた。私は、言ってみれば猿回しの猿だった。


 映画やテレビでジャリタレという虫ずの走るような呼び名を与えられた現在の子役たちを見るたびに、私は当時の自分を思い出して身の毛がよだつ思いがする。「可哀そうに」という気持ちはない。ましてや「頑張れ」などという感情はさらさらない。子供劇団の中には、まさに「すれっからし」としかいいようのない子役たちも大勢いる。…私の眼から見れば、「大人に作られたコマシャクれた人造子供」である。


 俳優業にも、子役にも、何の感傷もない。演技者の業ともいえる自己陶酔のかけらもない。


 私は、自分が演技をするのは、昔も今も苦手だが、上手い俳優が好きだ。私自身が自分の演技に酔ったり、溺れたり、のめり込んだり、つまり「俳優べったり」になれないからこそ、常時シラジラとした第三者の眼で他の俳優を眺める習慣が身についてしまったのかもしれない。


 他の著作である「にんげん蚤の市」、「にんげんのおへそ」も買ってしまった。今年の夏は、高峰秀子の夏になりそうだ。出演作も観てみたい。