永江朗と宮崎哲弥による2012年の新書批評の紹介。掲載誌は、「中央公論」3月号。
年間ベスト3
(宮崎)2012年の新書界は、当たり年だった2011年の「惰性」でようやく自走できた印象だった。時代の里程標的な新書が見当たらなかった。
(永江)対象者のレベルを下げた「入門の入門」的な新書が増えている。作家の森巣博ふうに言えば「中三階級」、すなわち中学卒業程度の人が読める新書が増えています。
「中三階級」、これは笑える。
以下、個別の評価。
・徳善義和「マルティン・ルター」(岩波新書)
〜近年のキリスト教関係の類書のなかでは傑出している。ルターを思想家として捉えなおしたとき、その主軸は言葉であったことを描きだした。これに対し、仏教は言葉に対する不信と徹底的な批判によって成り立っている。(宮崎)
・中村桃子「女ことばと日本語」(岩波新書)
〜標準語がどう作られてきたかを「女ことば」の変遷から読み解く。言文一致なんてありえないと思った。(永江)
・金森修「動物に魂はあるのか」(中公新書)
〜デカルトは、実体的存在を「思惟する自我」と「延長する物質」に二分して、動物を「延長する物質」、つまり機会に分類した。近代とは、この動物機会論の解体史だとするのが本書の主眼。人を新たな指向に誘う名著(宮崎)
・小倉紀蔵「入門 朱子学と陽明学」(ちくま新書)
〜「『論語』ブームだけれども、孔子の原典なんて何も面白くない。重要なのは解釈史だ」との指摘があり、なるほどな、と。(永江)
小倉の言に、小生も異議なし。その点では、書店に積まれている「論語」をビジネス処世訓に解釈しているトンデモ本も「解釈史」の一部に属するのかもしれない。
・安藤寿康「遺伝子の不都合な真実」(ちくま新書)
〜心身両面にわたる遺伝の影響を前提として、いかに自由で平等な社会制度を設計していくか。その可能性をさぐる一冊。(宮崎)
※これは気になる評(風船子)
・港千尋「芸術回帰論」(平凡社新書)
〜政治、経済が混迷する今、いったん芸術に回帰して、そこからやり直そうという話。断片的なエッセイ集だが、ハードカバーで読みたかった。でもおもしろい。(永江)
・「ふしぎな『ふしぎなキリスト教』」
〜ベストセラー「ふしぎなキリスト教」にいかに誤りが多いかを指摘した一冊。とくに正教会に関し蒙を啓かれた。(宮崎)
宮崎は、このところの新書は「デフレ商品」化していると指摘したうえで、学術モノを時間をかけて解りやすく書き込み、安価で売る、という「新書の本義」にそろそろ復帰してもらいたい、と言う。同感だ。