サッチャー、光と影

 サッチャーが亡くなった。


「英国病克服の立役者」、「信念に生きた『鉄の女』」などなど、日本のマスコミでは功績をお香典がわりに並べた追悼文が並ぶ。


 英国の新聞には、辛辣な記事も並んでいた。リベラル派のガーディアンは、10年前に書かれた「サッチャーが残した暗い伝説はまだ消えない」と題した記事を再録した。

 この記事によると、大衆に好かれることへの無関心さは決断力につながったが、同時に数百万人の失業者を生んだ。また欧州統合市場への接近策を取りながら、同時に反EUムードをあおって欧州政策は矛盾に満ちたものになった。調和を無視した党運営は、保守党から政党の力を奪い、サッチャー後に保守党は長期間、政権から遠ざかったーなどなど。

 結局、サッチャー国家主義者ではあったが、「何か」を保って守る「保守」ではなかった。英国政治史では、明白な「異端」に位置づけられる存在だった。サッチャーの功罪については、これからも問われるだろうし、安倍政権下で「保守とは何か?」がますます重要な政治課題になってくる日本にとっても、サッチャーの功罪を問う意味は大いにある。

サッチャー死去を報じる英各紙の一面は下記で紹介。

http://www.pressgazette.co.uk/content/thatcher-front-pages-women-who-saved-britain-or-woman-who-divided-nation



 さて、あれは2001年だったろうか。ロンドンでテレビを見ていたら、久々にサッチャー女史が画面に登場していた。保守党の集会だったと思う。

 サッチャーは冒頭、「この会場に来る途中に映画館の前を通りかかりました。そこの看板に書いてあったタイトルは、「Mummy Returns」(ミイラが帰って来た)でした」。会場は笑いに包まれた。

 この映画の邦題は、「ハムナプトラ2ー黄金のピラミッド」。サッチャーは、「私は政治の表舞台にはいないけど、まだまだ死んだわけではないのよ。ほら、戻って来たわ」とでも言いたかったのかもしれない。そういえば、会場にいた保守党のおっさん政治家たちの笑顔は苦笑に近いものだったかもしれない。

 笑いをとりながら、聴衆をギクリとさせる力は、さすがだと感心した。

 功罪を含め不世出の政治家だったことは間違いない。