山村修さん、ありがとう

 今日は父親の命日。もう2年なのか、まだ2年なのか。判然としない。


 呼吸のように「読み書き」したい、と思いつつ、ブログは沈黙が続いている。ただ「書く」ことはままならないが、「読み」は続けている。片肺飛行だが、一応、低空ながら飛んでいるということか。


 こういう状況で何か支えになる本はないか、と考え、山村修を選んだ。いや、敬意を表して山村さんだな。山村さんは、サラリーマンを続けながら、<狐>の名で日刊ゲンダイに20年以上も匿名の書評を書き続け、2006年に56歳で逝去した人物だ。


 選択は、大正解だった。


 「水曜日は狐の書評」(ちくま文庫)を以前読んだことはあるが、通勤電車と週末の自宅だけの読書で、これだけの範囲で、これだけの深さで本が読め、これだけの高いレベルで書評がかけるとは…
私と比較するのもおこがましいが、大きな励みになった。お休みしていた「書く」という「片肺」が山村さんのおかげで動き始めた気がする。


「禁煙の愉しみ」、「遅読のすすめ」、「気晴らしの発見」、「<狐>が選んだ入門書」と読み進め、今は「書評家<狐>の読書遺産」を通勤電車で読んでいる。

 出勤前、自宅の窓から通りの桜をみながら、父、母、山村さん…不在となった人たちの「存在感」をかみしめています。