老いと戯れる

「猫の領分―南木佳士自薦エッセイ集」(幻戯書房)に対する持田叙子による書評に反応した。

 香気高い信州随筆州。土地への畏敬が全編をつらぬく。著者は、上州に生まれ信州に医師として移住した。老病死を特徴的に追う筆致には、明るく軽妙なユーモアが漂う。来院する信州おばあさん列伝などケッサク。


 「最も印象深い臨終の光景を見せてくれた」のは、しっかりしてぇと連呼する嫁にむかい、「うるせー」と一言はなって息絶えた九十歳。


 好きな男が死んだ時に詠んだものと、ある老女に示されたのはすさまじい名歌―「あらがえぬ命なりけり 死者の顔撫でしこの手で夜半に飯(いい)はむ」。


 かと思えば、「我すでに死臭のありや 秋の蠅」なる一句を置いて去ったおばあさん。自己の老いや死とさえ戯れる、信州人の文化度の高さにおそれいる。

                              (13年1月13日付け、毎日新聞朝刊)

 生涯、生まれた土地から離れず、家族、親戚、知人との多くの死別を経験し、自分も老いに到達した人たちから立ち昇る、年季の入ったユーモア。東京的観点からみれば、「日本の片隅の小さな人生」かもしれない。しかし、概して、「日本の中心」で「大きな人生」を送っているつもりの人間たちは、いい年になるまで死を考えもせず、いざ自分の死が迫ると突然うろたえ、落ち込んでしまう傾向がある。

 どちらが「小さい」かは自明である。