よいお年を!

 昨年の父に続き、母が1月に突然逝き、この世で「子供」の役割を終えた。両親が相次いで亡くなり、一気に死を身近に感じるようになった。恐怖ではなく、むしろ親近感に近い。お盆の季節、早朝、無人となった実家の庭を一人で掃除していたら、近年感じたことのない充足感が腹の底から湧いてきた。その満ち足りた気分の記憶が今でも鮮明に残っている。

 あれは、なんだったのだろう。年を越して、何かを変えたい。


 さて、今年も例年のように読み散らかした。記憶に残っている断片を拾い集めてみると・・・

 まとまったものをきちんと読めなかった。年初、一度挫折した「論理哲学論考」(ヴィトゲンシュタイン)精読に2度目の挑戦を試みたが、母の急死で中断、そのままとなる。3度目はいつになるのか。

 昭和モノは瀬島龍三関連の文献をいくつか読んだ程度。朱子学読書会も継続しているが、十分な準備をせずに出席することが多かった。


 話題の新刊のいくつかには手をのばした。「K」(三木卓)、「東京プリズン」(赤坂真理)、「64(ロクヨン)」(横山秀夫)などなど。


 このなかで「東京プリズン」は、手応えがあった。最後の東京裁判の模擬裁判は、文学史的にも収穫だと思う。ただ、天皇を文学的イマジネーションで膨らませすぎると、社会制度であるという基本的土台を忘れてしまうのではないか。三島もどきの政治的ロマン主義に陥る危惧を少し感じた。


 映画は、それなりに収穫があった。園子温監督の作品をはじめて観たが、「幸福の国」は残念ながら空回りだったが、「恋の罪」、「ヒミズ」ともに圧倒された。塚本晋也の「KOTOKO」もガッツリ系で食べ応えがあった。上映後のトークショーに出演した塚本監督本人が、非ガッツリ系でとぼけたオッサンで、これも良かった。あとは、ヴェンダースが撮ったピナ・バウシュドキュメンタリー映画にも刺激を受けた。そのほか、日本の若い映画人の撮った映画作品にも、何作か揺さぶられるものを感じた。


 来年はもう少し、なんとかしたい。